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——まずは、アルバム・タイトルからも窺える今回のコンセプトについて聞かせてください。
和嶋慎治(Vo&Gt) 僕らは、ダークな感じの曲調でヘビーなサウンドに日本語を乗せるということで1stからずっとやってきて、今回ももちろんそういう音楽をやるんですけれども、聴いてくれる人がだいぶ増えて来たなということを手応えとして感じていまして。そこでさらに「バンド名は知ってるけれど音は聴いたことがない」という人にも聴いてもらいたいなと思いまして、そのためには…。いままでアルバム・タイトルが難しいものが多かったんですよね。それはそれで、僕らのスタイルなので構わないとは思ってるんですが、でも今回はタイトルだけでこういうことをやってるんだというのが分かるようにしたいと思いまして。去年、またOZZFESTに出て、バンド名を知ってもらう大きなきっかけにもなったと思うので。アルバムで何をやるかということに関しては、暗い音楽をやるんだけど、その音楽を通じて生きる歓びであったり、光を見るということをやりたいんですよ。で、日本の昔の怪談というのはただ怖いとか気味が悪いとか、そういう事だけではなくて、根底には優しさや愛があるように思う訳です。だから、怪談というテーマでやると、分かりやすくて、しかも自分たちがやりたい感じでやれるなと思ったんですよね。
——今回のアルバムを聴くと、人間椅子の音楽のいちばんベーシックな部分をさらに突き詰めたという印象だったんですが。
和嶋 そうですね。ベーシックな部分をいっそうエッジを効かせて、しかも洗練されたかなあという気がしてます。だから、どの曲もそれぞれにキャッチーさもあると思うんです。大きかったのは、去年いろんなイベントに参加して、いろんなミュージシャンの方といっしょに舞台に上がって刺激を受けたり、劇伴やエンディングテーマの楽曲を作ったりしたんです。それで、ただ自分たちの好きな音楽をやるというだけじゃなくて、聴かせるためにはどうすればいいかということを少し勉強出来たような気がしていて、その成果もうまい感じで出てるように思います。
——鈴木さんは、今回のアルバム作りにはどんな気持ちで臨んだんですか。
鈴木研一(Vo&Ba) 僕は、平成4年からやってたアルバイトがほとんど本業みたいになってたんだけど(笑)、それを辞めまして、バンドだけでやっていくぞっていうことを決めたのが去年だったんですね。それで、曲作りに使える時間がグッと増えまして、“ここまで時間が増えたんだから、いい曲を作ろう!”という強い気持ちで相当に考えて、選び抜いた曲を今回は入れることが出来ました。和嶋くんは常々「人間椅子は再スタートをきった!」と言ってますが、再スタートというか、本気出したら凄いぞというところを見せない訳にはいかないなという感じでしたね。
——ノブさんは、最近の人間椅子を取り巻く状況についてどんなことを感じ、そのことが今回のレコーディングにどんなふうに繋がっていると思いますか。
ナカジマノブ(Vo&Dr) いつもレコーディングの時には、前回を超える曲を作りたいと思ってやるんですが、演奏の部分でも前回を超えたいと思ってるんですね。僕は人間椅子に入って12年目なんですけど、テクニック的にもグルーヴ的にも前回を超えたいというその気持ちの部分で今回初めて少し余裕を感じながらやれたんです。それで、いろんなことを考えながらやるということができたんですけど、それは多分、研ちゃんと和嶋くんと10年やってきた結果として考える道筋を短く辿れるようになって、それで余裕が出来たということなんじゃないかなあという気がしてるんです。だから、今回は今までより深く“このアルバムではどう表現しようかな?”ということを考えられたんですが、その時に僕が参加する前の人間椅子の曲をちょっと聴き返したりもして、その中で常にライブでやってるような曲のテイストを振り返ってみると、前作までで自分がやろうとしてたことよりももっとシンプルだなということに気づいたんです。シンプルで、やっぱりグルーヴが大事で、そのシンプルな中でかっこよさを表現するということをやってるなっていう。だから、今回はテクニック的にいままでやれなかったこういうことがやれたぜ!みたいなことじゃなくて、人間椅子の素みたいなかっこよさを俺なりに表現したいなと思ってやったんですけど、それがもしかしたらベーシックということだったのかなと今の話を聞いてて思いました。
——ノブさんが入って12年目という話が出ましたが、その12年の間に人間椅子というバンドに何か変化があったように思いますか。
ナカジマ 基本的には、信念もかっこいいと思ってるものも変わってないです。表現したいものも変わってないと思いますが、表現方法の中の3人が見てる共通視点というか、「こういうかっこいいものにしよう!」っていう共通言語みたいなものが毎回ちょっとずつ変わって、例えば今回だったら“怪談”という方向性のなかでやっていったわけで、その方向性は少しずつ変わっていってるということは感じます。
——そこでまた話は最初に戻るのかもしれませんが、和嶋さんが最初に言われたより広く聴いてもらうことを意識したということが曲作りや演奏に具体的にはどういうふうに反映されましたか。
和嶋 基本的なところは変わらないんだけど、つまりはハードルが上がったということだと思います。楽曲のクオリティーを上げるということですね。で、時間をかけると、やっぱりいい曲になるんですよ。もちろん、元になるものがよくないとダメなんですよ。石炭をいくら磨いても宝石にはならないけど、宝石は磨けば磨くほど綺麗になりますよね。そういう意味で、曲の原石を磨き上げる集中力やエネルギーを以前よりも注ぎ込んだという感じがします。というか、そうしないと求めているものにならないというか。で、いろんな人とやるなかで、人が人間椅子というバンドに求めているところも意識するようになりました。ただ作ってもダメだな、というか。求められていることをやりつつ、そこに好きなことを入れて曲を作りたいなと思うようになりましたし。他者を意識するようになったということだと思うんですけど。それから、去年またOZZFESTに出ましたけど、ということは海外のバンドと同じステージに立つわけで、そこでは同列に聴かれることになるわけですよね。日本のバンドだからこうなんだ、というふうには思われないように、そういう意味でもハードルは相当上げましたよね。ただ、そこで意識したのは日本人なりの表現をしないと海外の人は認めてくれないだろうなっていうことで、外タレがやってるようなことをそのままやっても、「そういうのは、ウチの国にもいるよ」って言われちゃう。アジアの日本という国なりの文化を何か入れないと、海外のロック・ファンは「オオーッ」と盛り上がってくれないんじゃないでしょうか。そこを以前よりもいっそう意識して、うまくロックと融合するようにそこは時間をかけてね。もちろんそういう要素をただ入れればいいという話でもなくて、ただドメスティックなものを入れただけだとかえってかっこ悪くなりますからね(笑)。
——いまのお話にあった、「人が人間椅子に求めているもの」をうまく折り込むというのは具体的にはどういうことですか。
和嶋 かっこいいリフをより意識するということですよね。
鈴木 リフがぼくらの最大の武器ですからね。歌では他のバンドにかなわないところもありますけど、リフでは日本では誰にも負けないっていう自負はあるんですよね。
——「雪女」と「マダム・エドワルダ」と、今回は女性主人公の2曲が入っているのも、人間椅子のアルバムではちょっと新鮮ですね。まあ、雪女は女性なのか?という話はありますが(笑)。
和嶋 ああ、そうですね。まず、基本的にあまり恋愛の歌はやらないようにしてるんです。やったとしても、苦しい恋というか実らぬ恋の曲で、アルバムに1曲あるかないかという感じなんですけど、やっぱり“死とエロス”という副題をつけたからですかね。女性というのは美しさを体現する存在だと思ってるんで、今回は出したかったんですよ。男からみた女性ということではありますが、そこには存在の悲しさみたいなものもちょっと感じたりして。それをなんとか表せないかなという気持ちはあったと思いますね。
——そこで雪女が出てきたのは?
和嶋 それはやっぱり“怪談”というテーマからですね。美しさと恐ろしさの象徴として、雪女の曲を作りたいと思って。
鈴木 でも、雪女の曲を作ろうと思って、普通あのリズムにはならないよね(笑)。さすが着眼点が違うなあと思ったんですけど。
和嶋 地吹雪の感じですよね。下から雪が舞い上がってくる感じを出したかったんです。それは、自分が雪国出身で良かったなあと思いましたよね。あの身を切られる寒さを知ってるっていうことが大きかったと思いますね。
鈴木 そうかあ。地吹雪に16ビートを感じてたんだ。そうかあ。でも、雪にはなんか、リズムがあるよねえ。
和嶋 静かに降ってるときは、相当ゆっくりなんですけど…。
鈴木 あれは、アルペジオっていう感じだね。
和嶋 そして、吹雪いてるときの、あの痛みを感じるほどの音ね。
——歌詞とサウンドのコントラストということでいうと、「地獄の球宴」は個人的にはユーモアさえ感じさせるように思いましたが。
鈴木 僕は地獄の絵をよく見るんですけど、ただ怖いだけじゃないんですよね。ちょっと滑稽なところもあって、そこがいいんですよね。この曲は、そんな感じが出せないかなとは思ってたんですけど。
——MVは、1曲目の「恐怖の大王」ですね。
和嶋 アルバム全体を包括できる曲かなと思ったんで。つまり、ヘビーな部分もあるし、変拍子的な要素も入ってるし。リズムが変わるプログレッシブ・ロック的な要素も入ってるし、そういう僕らが好きでよくやる要素が全部入れられた曲だなということですね。
——アルバムリリース後にはすぐに全国ツアーが始まります。
和嶋 今回は、1ツアーとしては、ここ15年くらいでいちばん多い本数になりますね。ずうっと行ってなかったところに行くし。
——例えばどこですか。
和嶋 秋田とか、そうですね。
鈴木 宇都宮とか…。
和嶋 宇都宮はデビュー以来ですよ。
鈴木 広島もあんまり行かないし、高松もこの間やっとまた行くようになったところだし。
和嶋 で、そういうところに行くと、やっぱり“待ってました!”という感じなんですよ、お客さんも。ノブくんにブッキングはやってもらってるんですが、ライブハウスの人たちもすごく喜んでくれてるみたいだし。
ナカジマ 今回の15本というのは、僕らが増やそうとしてこうなったというわけじゃなくて、例えば「ここは前回行ってないから行こうか」とか、「今回はオリジナル・アルバムを持ってのツアーだから少し規模を大きくしようか。じゃあ、九州は1カ所じゃなくて2カ所。東北はゆかりのあるところだから、もう2カ所くらいやろうか」みたいな感じで、そういうふうにやっていった結果がこうなったということなんですよね。
——それで、東京公演がファイナルになるわけですが、どのバンドに聞いてもツアー15本目くらいというのはいちばんいい具合にまとまってくる時期のようですね。
和嶋 相当いいと思いますよ。
鈴木 いやあ、枯れちゃってるかもしれないよ(笑)。
ナカジマ ただ、バンドが進化してるからこそ本数が増えてきてる、ということはあると思うんです。パフォーマンス自体、“この人たち、ホントに50歳なの?” という感じだと思いますから、そういう意味でも若いバンドにも負けないライブになると思います。
和嶋 今回のアルバムはハードルが高くなってるという話をしましたが、それは演奏の部分でもそうなんで、ライブで挑戦し甲斐があるというか、ライブではよりかっこいい音楽を披露できるんじゃないかと思います。
——楽しみです。ありがとうございました。
インタビュー/兼田達矢
シシド・カフカ、「今のシシド・カフカを」を打ち鳴らす新作を制作中!最多の全国ワンマンツアーを自ら志願!
──昨年の6月に斉藤和義や甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)、Y0-KING(真心ブラザーズ)、渡辺俊美、KenKenらとセッションした『K⁵(Kの累乗)』をリリースしました。男性アーティストとのセッション・ミニアルバムを経て、次のステップはどのように考えてました?
まず、2015年に引き続き、“脱力”というテーマを念頭におきながら次のアルバムの制作に取りかかっていて。それまでは、肩がこるくらい力を込めているのが音にも表れていたと思うんです。でも、前回のセッションアルバムでご一緒した方々から、程よい力の抜け具合と、だからこそできる、針を刺すように一点を目指していくという制作の仕方を学ばせていただいたことで、自分も力の抜き方を覚えた実感があって。それをいかに次のアルバムの中で体現していくか、表現に変えていくことができるかっていうことを考えていて。と、同時に、前作はアーティストさんの器の中に飛び込んで、自分が何をできるかっていうことに挑戦したんですけど、次の作品ではたくさんのプロデューサーの方とご一緒して自分の表現をしようと思っています。
──制作中のアルバムからすでに新曲2曲が配信でリリースされてますね。1曲目の「crying」は、NHK BSプレミアムドラマ「はぶらし/女友だち」の主題歌で、織田哲郎さんプロデュースのロックバラードになってます。
織田哲郎さんがご一緒してくださるということで、素晴らしいメロディが上がってくるのはまちがいなくて。曲の雰囲気は織田さんが作ってくださったんですけど、歌詞に関しては、織田さんと言葉のやり取りをさせていただいて。(斉藤)和義さんの時と同じ感じなんですけど、自分が書いたメモ書きをお渡しして、そこから織田さんが摘んでくださったものに対して、私がまた返していくっていうやり方で、何度かやり取りさせていただきました。織田さんは親身に、歌詞の書き方とは?メロディの捉え方とは?という根本から立ち返って教えてくださって。すごく勉強させていただきました。
──ドラマの台本を読んで書き下ろした歌詞なんですよね。
そうですね。女性のおぞましさというか、怖さを描いたドラマなんですけど、同級生の女性二人が主人公になっていて。二人は、高校生の時に思い描いていた夢とは逆の人生をそれぞれが歩んでいるんですね。結婚を夢見ていた人が仕事に一生懸命で、歌を歌いたかった人が家庭に入った経験があるっていう話になっていて。私自身、描いていた夢が思い通りにかなったことが1個もないので……。
──1個もないですか!?
1個もないですね。例えば、もっと早くデビューするはずだったとか、もっと早くあのステージに立つはずだったとか。結果として、立っている場所が理想の場所だったことはありますけど、その道のりや方法は、1個も叶わなかったままきているので、共感する部分があって。しかも、同年代の女性を描いているドラマでもあったので、織田さんのメロディに乗せて、その自分の感情を出せば、ドラマには合う曲になるなと思って、素直に書かせていただいた感じですね。
──学生時代はどんな未来を思い描いていました?
27では死んでいる予定だったので。
──その未来は叶わなくてよかったですよ。
あははは。でも、その頃はいわゆる、伝説のロックアーティストと同じく、太く短い人生で、27歳という年齢で死にたいと思っていたんですよ。でも、実際は、芽が出ない時期が長かったですからね。ドラマーとしての自分自身を描いていた時期も長かったし、ドラムを叩かずに歌だけの時期もありましたし。今のように、ドラムを叩きながら歌うなんて想像もしていなかったんです。
──結果的にはドラム&ヴォーカルのスタイルで27歳の年にデビューしてますよね。
そうですね。不思議な感じもしますけど。未来がどうなるかなんて誰もわからないですよね(笑)
──(笑)レコーディングはどんな気持ちで臨みました?
タイトルになっている『crying』という感情をそのまま出したという感じですかね。ドラムは2〜3テイクで終わっちゃったんですね。『もうちょっと録らせてください』っていう気持ちもあったんですけど、織田さんには録れたという手応えがあったので、そこで終わらせて。歌録りも、織田さんはいろんな方とやっているので、アドバイスが的確で。
──女性のロックシンガーを数多く手がけている方ですが、どんなディレクションがありました?
私が作っていった歌い方より、もっと素の方がいいなって言われて。いろいろ考えていったことを外しながら歌ったという感じですかね。織田さんには、歌声をすごく褒めていただいて。後日、配信がスタートした時に、お礼のメールをしたんですけど、『君は、歌は素晴らしいものを持っているんだから、迷いなく、どんどん前に進みなさい』と言って頂いて。すごく嬉しい言葉をいっぱいいただきましたし、もっと勉強させていただきたいなって思っています。
──勉強したいことというのは?
私、歌詞を書くことに苦手意識を持っていたんですよ。でも、『君は言葉をすごくたくさん持っている人だから、視点やチョイスの仕方が変わるだけで、違ってくるよ』と言っていただいて。もっと学びたいことがあるので、<織田哲郎歌詞塾>を開いてくださいって、近々お願いしようと思っています(笑)
──(笑)もう1曲の「明日を鳴らせ」はテレビ東京系アニメ「フェアリーテイル」のオープニングテーマです。
突き進む歌ですね。アニメは、“仲間”とか“絆”とか、今日まで私が口にしなかったような言葉が(笑)、飛び交うようなストーリーになっていて。割と天邪鬼なので、脇道に逸れたがるんですけど、それでも真っ直ぐに前に進んでいく気持ちや視線も、まだ持ち合わせているので(苦笑)、そういうものに素直に焦点を当てて書いていますね。
──とても前向きな歌詞ですが、「crying」の主人公と同じく、涙を流してるんですよね。
確かに!切り取るところが違えどということですかね。『crying』を書くときに一番思い出していたのが、言葉も通じないまま現地の学校に入ったアルゼンチン時代だったんですよ。そこから持っている自分のコンプレックスに焦点を当てたんですけど、そのコンプレックスがあるからこそ進める毎日だったりするので。始まりが涙なのかもしれないし、根本が涙なんでしょうね。でも、それはきっと、誰しも同じで、涙の上に毎日が、今日があるんだと思います。
──また、楽曲のプロデューサーはデビュー前から一緒にやっている平出悟さんです。
いつもの平出さんなので、疾走感のある、<ザ・シシド・カフカ・サウンド>っていう感じですね。平出さんとは、今回の曲も含めて、メロディとリズムが難解なものが多くて。だからこそ、言葉をいろいろと変えたがるんだなという発見があったんですよね。他の方が書いてくださった曲は、メロディがシンプルですっと入ってくる。そうなると、言葉も単純なものを載せようという瞬間があって。そういう落差というものが、『明日を鳴らせ』と他の曲にはあったりするのかなって感じています。
──初めての方とおなじみの方がプロデュースした、この2曲だけでも落差というか、対照的な仕上がりになってますよね。
そうですね。アルバムではさらに、総勢9名の方にプロデュースしていただく予定になっていて。引き出しが多い方々ばかりなので、いろんな冒険をさせていただいているなという感じがありますね。
──楽曲に対する向き合い方も前作とは違ってますか?
前は歌詞もほぼ書いていただいていて。今回は自分の言葉も入りますし、ドラムのパターンも自分で考えることが多くなっています。そういう意味では、前回よりは、中心に自分が立っていないといけないという思いがありますし、プロデューサーの方々とたくさんのディスカッションをしながら制作している感覚がありますね。
──通算2枚目のフルアルバムはどんな作品になりそうですか?
1stアルバムには16曲も収録されていたんです。ものすごく広いところから曲をかき集めたイメージだったんですね。今回もいろいろとかき集めたつもりだったんですけど、この2年半くらいの間に、私自身が多くの物事を経験したり、吸収したりしたものが反映されているので、何かテーマを決めて一貫性を持ったアルバムではなく、今のシシド・カフカを聴いていただけると思っています。
──現時点ではもう全体像は見えてます?
見えています。今、6割くらいは出来上がっています。ロックに寄せた曲もあれば、華やぐような広がりを求めた曲もあって。ライブのシチュエーションを想定しながら作っているので、皆さんに楽しんでいただけるんじゃないかなって思います。
──アルバムのリリース後には全国9か所9公演に及ぶツアーが決定しています。
いままでは4本が最大だったんですよ。急に増やしたので、どうなることか、今、私もわからない状態で(笑)。ワンマンで二日連続すらもやったことがないので、本当に未知数なんですけど、ツアーをしていく中で、ライブが育っていくのを体感できるんだろうなという楽しみがあって。5月、6月という2ヶ月間は全力で走り抜けたいなと思っています。
──どうして急に増やしました?倍になってますが。
私がいっぱい行きたかったんです!イベントでは行ったことがあっても、単独では行けていない場所も多かったので、お客さんと近いところで、お客さんの熱量を感じながらの単独ライブがやりたいという思いが強かったんですね。だから、『増やしてください!』って自分からお願いして。本当はもうちょっと多かったんですけど、急に増やしすぎて体力的にできなかったらシャレにならないので(笑)、まずは9本にして。これでもかなりドキドキしています。
──初めて足を運ぶお客さんにはどんな気持ちで来て欲しいですか?
去年の夏から4人編成での生演奏にしているので、その日、その場でのサウンドというものが色濃く出てくるだろうなと思うんですね。だから、その日のライブを一緒に作るっていう意気込みできていただけたら嬉しいですね。
──カフカさんご自身にとっては、ライブという空間はどんな場所になってますか?
最大の遊び場ですね。曲を作ったり、歌詞を書いたり、レコーディングをしたり……。制作の過程では苦しい瞬間もたくさんあるんですけど、それを全部、忘れてしまえるんです。もちろん、ライブが終わった後には、こうしたかったなっていう反省や後悔もあるけど、やっている最中は本当に楽しくて。こんなに楽しいことが仕事になるなんて素敵だなって思うし、ライブをするたびに、『いい職業に就いたな、ミュージシャンという職業で本当に良かったな』って、本当に毎回、思っていますね。
インタビュー/永堀アツオ
「僕らROOTS66!」宮田和弥[J(S)W]×渡邊邦夫[DISK GARAGE]×青木優[音楽ジャーナリスト/ライター]クロストーク、第2回!
クロストークの2回目は、世代観についての話の続きからスタート!ロックや音楽のみならず、プロレス、野球、そして精神年齢についてまで、同い年の激論は止まることなし。イノキ・ボンバイエ!
進行・TEXT/青木優
豊かで変化に富んでいた音楽環境
渡邊 僕らの若い頃って、エアチェックというものが流行ったんですよね。さっきみたいな番組があって、演歌からニューミュージック、ポップスみたいなものに世代交代していった年のピークだった気がしてて。で、ライブの番組はなかったんですよ。ええと、TVKが……。
宮田 TVKが唯一やってましたね、『ファイティング80’s』という番組を。あそこからハウンドドッグ、ARB、ルースターズ、あとRCサクセションも出ましたもんね!そこの落とし子が僕たち世代だったんですかね。
渡邊 そう、それを聴いて育って、そこからいろいろルーツをたどって、ビートルズや(ローリング・)ストーンズを知る、みたいな世代だった気がして。あと、アナログ(レコード)からCDに変わる革命の時期でもあったし、貸しレコード屋もできたし、音楽にあふれた環境だったんですよね。ウォークマンが出て、それで聴いてたのも中学ですから。
青木 たしかにハードの面でも移り変わっていった時期ですもんね。その中で音楽文化も豊富に芽生えていった、という側面はあると思います。
宮田 なるほどね。で、それを聴いて刺激受けて「やってみたい!」ってなるもんね。だからミュージシャンが多いのかもしれないなあ。
渡邊 で、ゲーム(の文化)がまだ大したことなかったんですよ。当時はゲームセンターに行かないとできなくて、家でやるゲームが出てきたのは、もうちょっとあとなんです。だから時間割くのって、野球やサッカーしに行くか、音楽聴くか、でしたよね。一番欲しかったのはオーディオでしたもん。
青木 オーディオね、わかります(笑)。で、僕は、その頃音楽を聴きながら、上の世代はほんとにすごいなあと思ってたんですよ。YMOとかRCとか、大人で、カッコいい音楽をやってて。この人たちに対抗できるほどの音楽がうちらの世代から出てくるんだろうか?と思っていたくらいです。そしたら……ね?
宮田 僕は、それをマネしたい!っていう気持ちでしたね。憧れですよ。だから、たとえば長嶋選手を見て「俺も野球選手になりたい!」って思うのと同じで、僕は忌野清志郎さんを見て「俺もあれになりたい!」って感じだったな。
![宮田和弥[JUN SKY WALKER(S)]](http://digaonline.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/02/875A3156.jpg)
宮田和弥[JUN SKY WALKER(S)]
青木 そう、そこで踏み込んだ人たちがミュージシャンになっていったんでしょうね。
プロレスや野球に熱狂した少年時代
青木 いま長嶋さんの話が出ましたけど、子供の頃のヒーローって、どんな人たちでした?
宮田 やっぱ猪木とかかなあ、そういう意味じゃ。猪木がタイガー・ジェット・シンをやっつける!みたいな(笑)。
渡邊 タイガー・ジェット・シンが初めて出てきてガンガンやった時、俺、泣いちゃいましたもん!「猪木!頑張れ!」みたいな。あとはザ・ファンクスとかね。プロレスには育てられた感じはありますね。
宮田 わかるわかる!あの頃のプロレスは、ある意味、ロックですよね。
青木 その前だと、馬場、鶴田とか、ブッチャー、ミル・マスカラスとか、キャラの強いレスラーがたくさんいましたね。僕は野球が好きで、壁新聞を作ったくらい掛 布のファンでした。僕は島根の出身なんですけど、当時は日本の地方は、ほとんどが巨人戦しか放送しないんですよ。もちろん長島さんや王さんがすごい選手だ とはわかってましたけど、巨人は好きになれなくて。あの頃の名残があるせいか、ロック好きな大人で阪神ファンは多いですよね。当時の少年には、プロレスと 野球がスタンダードでした。
宮田 そうですね。サッカーはそこまでではなかったですもんね。やっぱ野球だったなあ。
大人の年齢になって思うこと、感じること
タイタニック・イン・コンサートがいよいよ上陸!その魅力をLiLiCoが熱く語る!
1997年に公開され、世界歴代興行収入ランキング、日本歴代興行収入ランキングともに第2位を記録、アカデミー賞11部門を受賞する快挙を成し遂げた映画史に燦然と輝く不朽の名作『タイタニック』。そんな本作のシネマ・コンサートがこの春、日本に上陸。大スクリーンでの映画上映にオーケストラ&アイリッシュバンドの生演奏による音楽(作曲:ジェームズ・ホーナー)、そしてグラミー賞も受賞した主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」も生で鳴り響く!このあまりに贅沢な本企画の応援大使に就任したのは映画コメンテーターのLiLiCoさん。「エンタテイメント業界が変わる!」と大興奮のLiLiCoさんに話を伺った。
──『タイタニック』について、1997年当時覚えていることを教えてください。
実は私、当時ミニシアター系が大好きで、小さな映画を観に行くのが大好きだったんですよ。なので、映画館では観ていないんです。その時なぜか「流行りに乗らない!」いうのが流行りで(笑)。自分の中のくだらないブームなんですけどね。あと、ラブストーリー映画というものに、「そうは簡単に上手くはいかないわよ!」という目線で観ていたというか、ちょっとひねくれた性格だったんです(笑)。
でもこの作品は、(ジェームズ)キャメロン監督がラブストーリーを作るということ、またラブストーリーを描くといっても『タイタニック』は実話ですから、そういう意味でも興味がありました。公開から1年くらい経ってVHSで観て、3時間もあって2本テープがあるので途中で入れ替えないといけなかったんですよ(笑)。でも今まで4~5回は観たのかな~。この映画はずっとそこにある作品というか、年間500本くらい観るんですが、『タイタニック』は毎回フレッシュな気持ちで観直すことができる作品ですね。
──LiLiCoさんの中で印象的なキャラクターは誰ですか?
今はキャシー・ベイツ(モリー・ブラウン役/実力で成功した成金。上流階級の中からは成り上がり者として見下されていた)ですね。あれ実在の人物なんですよ。彼女はローズ(ケイト・ウィンスレット)と同じようなタイプで、すごい器の大きい人だったと思うんです。じゃないと上流社会に馴染まないジャック(レオナルド・ディカプリオ)に食事のマナーだったり、息子の礼服を貸し出したりと、陰でいろいろと支えてあげたりはしない。彼女はちゃんと“生きている人”だなと、共感しますね。あと、私当時、ローズの婚約者(キャルドン役のビリー・ゼイン)がすごいイケメンだと思って、私ゼインさん大好きだったんですよ!ああいう“濃い顔”が好きで、「ローズが彼と結婚しないんだったら私が彼と結婚します!」みたいな(笑)。
──ゼインさんだったとは(笑)。レオ様とだいぶタイプが違いますね。でも当時レオ様を本作で知った人も多かったと思いますが、LiLiCoさんはどうですか?
私は『ギルバード・グレイプ』ですね!(93年の映画。レオが主人公の弟で知的障害者の役を演じ、その演技がアカデミー賞®助演男優賞にノミネートされた)。あまりにも演技が凄くて「誰だろうこの人」って驚きました!そこから注目していて、「この人は化けるな」と思いましたね。彼は本当に何でもできる役者さんなんですよね。たぶんあの頃は好青年の役が多かったと思うんですが、でも若干本人がうんざりしていたのか、それ以降すっごい狂ったような役ばっかりやってましたからね。最近なんてもう好青年の役なんかひとつもないですから(笑)!ただ、それが一番上手いんですよ!
──今まで4~5回観たとのことですが、観るたびに見方や感想も変わってきましたか?
そうですね。それこそ、みんな“王道のラブストーリー”ってよく言いますけど、アレ、奪い取ってますからね(笑)。大人の意見としてはダメです!(笑)。
でも・・・なんか「愛」って世の中で一番難しいことだと思うんですよ。婚約者を置いて好きな人と逃げる「愛」、そこまで愛する人がいるって本当に凄いコト。でもやっぱり、私大好きな人が「奥さんいます」「婚約者います」って聞いたら引きますよ。本当は「やっちゃいけないんですよ!」っていう冷静なLiLiCoもいるから(笑)。でもこういう“アバンチュール”を一度でも経験してみたいなとは思います。
歳を重ねると、映画は船の中の出来事を描いているけど、でもそれまでどれだけローズが嫌な思いをして生きてきたのか、そういう「前後」の「前」のストーリーも想像して観てしまいます。ジャックと出会って、テーブルの上で踊ったりツバを飛ばしたりとか、本当の彼女がどんどん出てきて、ローズの心情が変わっていく。そこがすごく細かく描かれているな、と改めて思いますね。若者だけの恋愛話じゃなくて、本当にバックボーンがしっかりしているんですよ。観る度に、いつもと違うところで感動できるところが、『タイタニック』がずっとみんなの中で生き続けるところなんだろうなって思います。
──物語もそうなのですが、この映画は改めて音楽の効果も凄い作品ですよね。
音楽は本当に偉大ですよ!セリーヌ・ディオンの「My Heart Will Go On」は改めて素晴らしいです。音楽って映画の中では登場人物の心境を現してくれるとても大事なツールで、この歌はエンディングに流れていますが、メロディラインは何回も劇中で流れるので、トゥルル~・・・って流れたら『あ、来た!』みたいな(笑)。あの曲の使い方が上手に煽ってくれますよね!よくあるじゃないですか、テーマ曲なのにエンディングでしか流れないっていう(笑)。そうじゃなくて、ちゃんとストーリーの中に盛り込まれているからこそ、作品も生きてくるんだと思います。
──今回の企画についてはどのような感想をお持ちですか?
最初聞いた時にはエンタテインメント業界が変わるなって思いましたね。またみんなが「やっぱり映画ってスクリーンでみるのが素晴らしいな」って思ってもらえるように、もっともっと私たちも頑張らないといけないんですけど、こういう新しいスタイルで映画をスクリーンで観られるというのは、とてもありがたいですよね。特に『タイタニック』なんて皆が好きな映画ですから!以前は『ゴッドファーザー』(ゴッドファーザー・シネマコンサート)をやったようですけど、ちょっとシブいかな(笑)。
この大作&名作を皆と同じ空間で生の音楽で聴けるなんて・・・日本のエンタテインメント業界が大きな一歩を踏み出しましたね。これは観に行かなかったら損ですよ!「映画は体感できる」っていうけど、これが究極の体感なんじゃないかな。心臓もマインドも、耳や目と、体の穴という穴から全部楽しめます(笑)。だってオーケストラ、コーラス入れて130人ですからね!私が思うに、最初のオーケストラの音楽が流れると、鳥肌でみんなの髪がちょっとだけフワって立つと思います(笑)。
──個人的にこの企画で観てみたい作品はありますか?
『ドリームガールズ』(06年)!やってほしいですね。でも『ドリームガールズ』はミュージカルだから難しいかな~。誰かが歌わないといけないですからね。『タイタニック』はミュージカルじゃないからこの企画に最適だと思うんです。歌が入っている映画だと誰かが歌わないといけないし、そうするとセリフも生きなくなっちゃう。あとオーケストラって普通行かないじゃないですか?若い人が「オーケストラに行こう!」って思える企画だと思いますよ。そういう意味でも本当に、本当に大きな扉を開けた企画、小さな扉じゃなくて、西部劇に出てくるようなダブルの扉でバーン!!ですよ(笑)。楽しみですね。
「3・25勝負の代官山UNIT成功させるぞ」祈念:つしまみれ17年史インタビュー!(前編)
結成17年、初めてアメリカツアーを行ってから12年。演奏力といいパフォーマンスといい、まさに「破壊的」という言葉をそのまんまステージにのっけたみたいなライブが話題を集め、アメリカ遠征が年間恒例行事になったら、国内各地のフェスに出演したり、全国くまなく回ったり……メジャーに在籍していた時期や、マネージメントに所属していた時期もあったが、現在はリリースもライブも自ら行う完全DIYのガールズ・バンド、つしまみれ。
3月25日(金)に代官山UNITでワンマンを行うので、本人たち的にもDI:GA online的にも、ぜひそのアピールをしたい! つしまみれが歩んできた、独特でユニークでそれなりに大変だったりもした歩みを知っていただくことで、彼女たちに興味を持ってもらえれば!というのが、当インタビューの趣旨でございます。つしまみれを知らない方、さして興味ない方が読んでもおもしろいこと必至の17年史、前後編でお届けします。ぜひ。
インタビュー/兵庫慎司
結成
まり(Vo・Gt) 千葉大学の、SOUND HOUSE ZOO(サウンドハウスズー)っていうバンドサークルに、1999年にやよいが入学してきて、出会いました。わたしとみずえが2年生で、やよいが1年生で。私がBLANKEY JET CITYの『ロメオの心臓』のツアーの赤坂BLITZを観て、「これは女3ピースでブランキーを目指すしかない」と思って、それをみずえに持ちかけたのが始まりです。それから2年間ぐらいはブランキーのコピー・バンドでした。

借り物のギターで、教室でライブ。
みずえ(Ds) 4年生になったくらいからオリジナルを作り始めて。
まり で、卒業するんです。私は小学校教員になりました。
みずえ 私はほかにやっていたバンドが「卒業してもがんばろう」って感じだったので、フリーターになってバンドを続けてました。
やよい(Ba) 私だけまだ4年生だったから、このままじゃつしまみれ終わっちゃうと思って、勝手にライブハウスにブッキングしたり。下北のQueとかシェルターとかのオーディションライブに……「土日しかできないんですけど、やりたいです」とかお願いして。
まり 出たこともないのに、シェルター様に(笑)。
アメリカ・ツアー
まり でも私も、小学校の教員をやりながらデビューを目指すと思っていて、デモテープを各メジャーレーベルに送って。その中の方が、ガールズバンドの殿堂、BENTEN LABELを紹介してくれて。レーベルの木村さんが四ッ谷のライブに来てくれて、私たちのデモCD-Rをごそっと買って帰ってくれて、「すごくよかった、うちで出しましょう」ってメールをくれて。
みずえ 2004年の8月にCDをリリースしたんですけど、その前の3月にBENTENのツアーでアメリカに行こう、ってなって。オースティンとロサンゼルスで2本ライブを。

念願のアメリカライブで「アメリカのハンバーガー」を演奏。衣装は着物。
まり それで仕事をやめて。その時に、ロサンゼルスが200人ぐらいで、オースティンが500人ぐらいいたのかな。どっちもアメリカ人が熱狂しちゃったから、音楽がやめられなくなりました(笑)。
みずえ 2005年と2006年の秋には、スーサイドガールズの前座でツアーに行きました。
まり それ40本ぐらいのツアーで、キャパも500から3,000くらいだったので、それでまたすっかり味をしめて(笑)。
みずえ CDが1回のツアーで3,000枚とか売れて、それでまた味をしめて(笑)。
まり もともとスーサイドガールズが前座を探してるっていう依頼がBENTENに来たんですよ。10数日以上連続でライブがあるスケジュールだったから、「そういうのがやれる女の3ピース・バンドいますか?」「はいはいはい!」みたいな。

やよいとスーサイドガールズたち。
みずえ 19本連続でやりました。それからしばらく空いて、2008年に久しぶりに行って。
まり で、そこからまた空いて、去年の3月にまた行きましたね。
メジャー在籍時代
まり 2004年にBENTENで出したあと、2007年までリリースが空くんですけど。で、次のインディ・レーベルを紹介してくれた人がいて、そこから『脳みそショートケーキ』(07年)と『つしまみれとロックとビアで』(08年)を出して。フェスとかも出してもらえるようになって、渋谷のクアトロとか代官山UNITでワンマンできるようになって。
みずえ でも、その時は事務所もあったんですけど、ライブのブッキングとかは自分たちでやってましたね。めっちゃ電話しまくって。で、そのレーベルの人がビクターに移ることになって、私たちもついていって──。
まり ふんわりメジャーデビューみたいな(笑)。それで『あっ、海だ。』(09年)と『Sex on the Beach』(10年)の2枚を作ったんですね。その当時はゴリゴリで押せ押せなライブをやっていたので……ハードな音で録ろうって言って、「マキシマム ザ ホルモンのエンジニアさんで録りたい」って言ったら、その願いをかなえてもらったりして。作品はもうほんと、好きなことをやらせてもらってたんですけど、その頃はマネージメントはなかったので、ライブが壮絶なことに(笑)。

都内中心に月5~10本ペースでライブする中、新曲作り、レコーディングを経て2008年5月21日「つしまみれとロックとビアで」を同じくJULY RECORDSより発売。タワーレコード、タワレコメンに大抜擢された。
みずえ 今、『あっ、海だ。』の時のポスターのツアー日程を見ると、10日連続ライブとか、ほんとに鬼スケジュールで。自分たちで組んでるから。レコーディングしながらやよいが電話したりしてたよね。
まり 私が歌録りしてる間にライブが決まっていく、みたいな。
やよい 「これ、リリースするんだったらツアーやんないとダメだよなあ」って考えて。「じゃあいよいよ全国を回れるかなあ。行ったことない場所も一応電話かけてみるか」って、かけてみたら「紹介状が必要なんで、まずはそれを持ってきてください」って言われて(笑)。で、千葉LOOKの店長に相談したら、「おまえらいったい何年バンドやってるんだ」ってあきれられながら紹介状を書いてくれて、電話もかけてくれて。
まり で、地図を見ながら効率的なツアーのはずだったんだけど、日程を詰めこみすぎて、途中で歌えなくなっちゃって。喉パッサパサで、もう叫んで終わり、みたいな。で、リキッドルームで結成10周年イベント、持ち曲全部やります、っていうライブを、そのつらいツアーの合間に入れちゃって(笑)。

結成10周年イベント「バンドは水物」@恵比寿リキッドルームの様子。
当時の持ち曲43曲を一日で演奏しつくした。
みずえ 伝説のライブ(笑)。途中で喉がつぶれて声が出なくなってるのに、最後で復活してるんです。っていうのがDVDに収められてる。でも、そのリキッドのライブの時に、ライブ制作の人を紹介してもらって、今もお世話になってるんですけども。
(つづく。後編は3月3日アップ予定!)
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佐野元春35周年アニバーサリー特別企画 「Great music journey」第4回 00年代、そして現在の佐野元春
取材・文/兵庫慎司
00年代、そして現在の佐野元春
最終回である今回は、00年代から現在に至るまでの佐野元春の足跡について振り返る内容だが、その前に、2015年7月にリリースされた、今のところの最新アルバム『BLOOD MOON』について、改めてちょっと書いておきたい。
今の時代と正面から向き合ったアルバム。いや、今の時代が抱える深刻な問題と向き合ったアルバム、と言ったほうがより正確か。そこで音楽が、メロディとコードとリズムが、できることは何かをつきつめ、具現化したアルバム。円熟と瑞々しさという矛盾するふたつが同時に鳴っているアルバム。たとえボーッと聴いていても、いろんな曲のいろんな言葉がグサグサ耳に突き刺さってくるアルバム。「これ以上、待っていても無駄だろう」(「境界線」)や「なんだろう ひとはあまりに傲慢だ」(「優しい闇」)のようなメロディックなところも、「考えるな、と誰かが言う」(「バイ・ザ・シー」)や「でも誰がマトモに聞くもんか」(「キャビアとキャピタリズム」)みたいなスポークン・ワード的なところも、気がついたらふと口ずさんでいる、そういう歌だらけのアルバム。
今、佐野元春にやってほしいことを、やってくれたアルバム。ただし「期待どおり」ではなく、そのこちらの期待のはるか上を行くアルバム。『BLOOD MOON』は、そのような、本当にすばらしいアルバムになっている。

BLOOD MOON
以下のインタビューで本人が口にしているように、共に10年活動したことでTHE COYOTE BANDがとてもいい状態にあったのもその理由だろうし、クリエイターとしての佐野元春のバイオリズムがいい時期なのかもしれないし、それ以外にもいろいろ理由はあるのかもしれないが、「すばらしいものを作ろうと思って作った」というだけではない、何か「作ったらこうなった」みたいな、本人たちのコントロールの外にある、タイミングとか、偶然とか、運とかに左右されるマジックのようなものまでが加わっている気がする、このアルバムには。
佐野元春は、今アルバムを作ってもいいものにならない、と判断したら作らない人だ、と僕は思っている。だから「うわ、ちょっとこれは……」みたいなアルバムは、過去の作品をふり返っても存在しないのだが、その中でも『BLOOD MOON』は突出していると思う。
「現実の苦い認識をどれくらい、自分のポップアルバムに反映させるか、その匙加減はすごく難しいところです。今まで僕も何回も経験してきて、うまくいったのもあるし、そうでないのもあったんだけれども、なぜかこの『BLOOD MOON』の制作中は、この現実の自分の苦い認識は、必ず多くの人たちに伝えきれる演奏とメロディと僕の態度、それを持っている自信がありました」
ROCKIN’ON JAPAN 2015年9月号掲載の渋谷陽一によるインタビューで、佐野元春はそういう発言をしていた。アルバムを未聴の状態で読んだので、その時は「そうなのか」くらいしか思わなかったのだが、そのあと聴いて「うわ、こういうことか!」と驚いた。
そんなアルバムを作れてしまった(っておかしな言い方だけど、そういう実感がある、聴くと)時期である現在行っている、しかも過去のバンドメンバーたちも参加している35周年のアニバーサリーツアーなのだから、よくないわけがない──と予想していたのだが、佐野元春のFacebook(https://www.facebook.com/motoharusano)に寄せられている、すでにツアーを体験したファンたちの声を見ると、それも、こちらの期待のはるか上を行くステージがくり広げられているようだ。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」と言いたくなるほどの熱狂的な言葉が、大量に書き連ねられている。初めて観たという若いファンがそうリアクションするのはわかるが、ずっと佐野元春と追い続けてきたファンも興奮し取り乱しているようなので、3月26日・27日の東京国際フォーラムで行われるファイナル公演への期待が、どうしたって高まる 。
では、連載インタビューに戻ります。第4回目であり最終回である今回は、00年代から現在までをふり返っていただいたものです。
キャリア初のライブハウス・ツアー
──佐野さんにとって共に活動するバンドがきわめて重要な存在であることは、前回までのお話でもわかったのですが、とすると、00年代以降で言うと──。

COYOTE
佐野 そこでのメイン・ポイントは、やっぱりTHE COYOTE BANDの結成ということだよね。自分のレーベルを作り、それまでのTHE HEARTLAND、THE HOBO KING BANDとの実績はあるけども、またゼロに戻ってストリートのネイキッドなロック・バンドに戻ろうという話で、ドラム、ベース、ギター、僕の4人バンドを作った。それが今のTHE COYOTE BANDの前身だよね。
そこで「星の下 路の上」というテーマを出して、レコードを作り、ライブをやり始めた。僕の知名度があれば、武道館とかいっぱいになったりするのかもしれないけれども、その4人バンドで武道館でやるのは無理があると思った。僕は新しいバンドを結成して、新時代の佐野元春サウンドを確実に奏でられるバンド力をつける、という点において、それまであまりやったことのなかったライブハウス・ツアーをやった。もう一度、野に解き放たれてやるんだ!という感じで。それが今から10年前くらい。ライブハウスで、生なロック音楽の感覚をもう一度僕の中に蘇らせる、もう一度僕の中に野性を蘇らせる、という意味で、非常に意味があった。それが『BLOOD MOON』にも全部結びついている 。

佐野元春 & THE COYOTE BAND
──新人の頃も、そこまで細かくライブハウスを回るツアーというのは行っていなかったですよね。
佐野 というか、今のように全国各地にライブハウスがなかったからね。今はいいライブハウスがあちこちにあるから。
──でも、このキャリアでそこから始めるのは、タフな経験ではありませんでした?
佐野 何がタフなんだろう?だって、いつも自分のやっていることにエキサイティングできる状況でやる、というのは、いきいきした音楽を作るのにいちばん役に立ちますから。僕は、やっていて楽しいことをずっとやってきている。楽しいことをやっていくといっても、刹那的に「ああ、楽しかったね、おつかれさま」っていうものじゃない。楽しくやりながら、5年先10年先にどうありたいかというビジョンはいつも持っていた。
このTHE COYOTE BANDが、新時代の僕の音楽を奏でるのに充分なバンド力を身につける日というのを、いつも僕は夢見ていました。それが5年後、さらに10年後、ちゃんと実現するんだよね。小さなライブハウスをずっと回っていたあのバンドが、2名増えて5人体制になって、国際フォーラムを満杯にするバンドになった 。
THE HEARTLANDも、最初は横浜の、産婦人科の下にあるサンドイッチ屋で4人で始めた。大音量を出せば、上から「今、子供が生まれるところだから音を下げろ」と言われた。そんな劣悪な環境でやっていた。でもその彼らとも、7年目には横浜スタジアムを満杯にするほどのパワーがついた。
THE HOBO KING BANDにしても、THE HEARTLANDのイメージが非常に強かったから、そのTHE HEARTLANDサウンドを払拭すべく、90年代の僕のサウンドを奏でるべくみんながんばって。ウッドストックに行って、ジョン・サイモンのもとに、すごく良質の、アーシーなレコードを残し、いいライブをやり続けた。

佐野元春 & THE COYOTE BAND
THE COYOTE BANDと佐野元春
森友嵐士、新しい挑戦にみなぎる意欲!コンセプトもバンドメンバーも日替わりの3DAYS公演!
――今回の3日間のライブ、どんな意識で取り組もうと思われました?
音楽をやっていく上でのチームを一新しまして。いろんなミーティングをしている中で、挑戦というキーワードが出てきて、新しいことに挑戦していきたいっていうところに共鳴したんです。その中で、“静かな嵐”、“激しい嵐” っていう切り口のライブが面白いんじゃない?っていう話が浮上してきて。そこに俺が単純に反応したんだよね。思慮深く考えて次のステップを模索する方法もあるだけど、今回に関してはインスピレーションで、面白いことをやりたいと思ったんです。ライブの準備も含めてすべてのことを楽しめるというか。いろんな生き方があるけれど、仲間たちと一緒になってワクワクしながら全部を楽しんでいく生き方っていいなと思って。だって、“静かな嵐”、“激しい嵐”って冗談みたいなアイデアでしょ(笑)。笑いながら言ってるような。しかも、会場が3日間あるんだよね、もうひとつ何か面白いことはないか?という話になって、“カバーも聴きたい”という案が出て。それで今回のように、3日間でコンセプトもメンバーも異なるライブをやることになったわけなんだよね。そのぶん、労力がすごく必要なんだけどね。参っちゃったよ(笑)。
――単純にリハーサル時間が3倍になるし?
しかも、本番が3日続くというリスキーなプログラムになって(笑)。でも、何か楽しそうな匂いがするねっていうのが今回の始まり。名前から決まったので、静かな嵐って何?、激しい嵐って何?、COVERで嵐って何?、みたいに、オーディエンスが1日1日を楽しめるようにどんなことをやろうかと考えています。準備段階もミーティングも、楽しい時間が流れてますね。
――ひらめきで決まったものがトントン拍子で進んだわけですね。
でも、誰と何をやるかがすごく大事だと思っていて。一緒にやるチームの相性がいいというか、会議な感じがしない。アマチュア時代に練習が終わった後にメンバーでミーティングしているような、そんなワクワクした感じがあって。そのワクワク感をできるだけ多く引っ張り出せたら、と思っています。直感で進もうとする、俺の性質だよね。いいねって思ったらやってみて、走り出した後でどうやってその川を渡るか考える(笑)。昔からそういうところがあったりして。どうしても経験が多くなって、いろんな考えが頭に浮かぶ年齢だけれど、そこからもう一回もとに戻したくてさ。好奇心とかワクワクが動機づけになって、楽しいことをやりたいっていう、そこにもう一回つながるような場所に自分を置きたくなっていると思うんだよ。だから、自分が一番反応している。そういう時期じゃなかったら、“何言ってるの?”、で終わったと思うんだよね。今自分が求めているものと、プロジェクトを進める仲間との感覚がマッチしているってことなんだ。
――精神的にそういう時期だったんでしょうか?前に進みたいというか。
前に進むとかどこに行きたいというより、もっと楽しみたい、ということだよね。音楽を作ることも演奏することも、全部楽しみたい。曲を作るのは大変だけれど、出来上がった時の喜びがあるから次のページを開いてしまうし、これが終わったらもうやめよう、なんて思っても、またそこで出来上がった時の感動があって次のページを開いちゃうものだし。
――守りに入るんじゃなくて、チャレンジしたい気持ちが強いんですね?
今はそっちしか興味ないみたいだね。新しいもの、やったことないものに挑戦したい。今回のライブも3日間、違うメニューで違うメンバーで行うというのも初めてなんだよ。メンバーのセレクトも新しい挑戦が満載で。慎重な部分もあるんだけど、それを脇に置いて、みんなが用意してくれるものに乗っかるのを楽しめたらなと。今までにない自分に出会えるチャンスだなって思っているよ。
――その3日間ですけど、初日が“静かな嵐”。ピアノとチェロという編成で行うことが発表されていますね?
この日は、クラシックホールから神社仏閣でのライブにつながる、ここ数年のスタイルがあって、自分でも大好きな編成なんだ。声が出なかった頃にシーラEのライブを見に行って、バンド編成にチェロがいてさ。ピアノ弾き語りにチェロが入ってくる瞬間があって、“なんて斬新でかっこいいんだろう”って思えて。今回は、この編成にどういうストーリーを持たせるかというあたりを考えてるよ。
――静かだけれど、いろんな感情が渦まくライブになりそうですね。
そうだね。T-BOLANの曲から最新の曲まで、このアンサンブルに似合うカバー曲も織り交ぜても楽しそうだよね。シックにゆったりと、大人なライブをお届けできたらと思います。
――確実にこれまでと違って聴こえるでしょうね。
ROCKなんだけどシックに洗練された音楽を感じてもらえたらと思うよ。俺のボーカルの繊細な部分、ブレスまで聴こえるようなニュアンスのコントラストもあると思うので。声っていう部分でもたっぷり味わっていただきたいですね。
――そして2日目が “COVERで嵐” ということで、カバー中心のメニュー。取り上げてほしい曲を募集されてますよね?
はい。選曲を募集してて、いろんなリクエスト頂いてますよ。80年代から今に至るまで、名曲のベスト版みたいなセットリストになりそうだよね(笑)。それぞれのアレンジも楽しみだし、今回は意外なカバー曲も楽しめたらなと思っています。
――ということは意外な曲も?
あったりするかも(笑)。イントロが流れた瞬間、“わっ!” と思えたり。イントロで分からなくても、歌が始まると“ええっ?”とか。そういう思い切ったこともやってみたいよね。そういうところでも俺たち自身が楽しめたらなと。メンバーもこの日は大御所の方たちなので、音楽経験がいろんな場面に飛び出てくればいいなと思っています。
――3日目は “激しい嵐” ですね。
これは感情に触れる、激しい曲を中心に行きいたいな。この日はバンドメンバーも若手を中心に集めてやろうと思っていて。だから、この日は初めてのメンバーばかりなんだよね。すべて挑戦だね。今までの自分だと、しっかり準備をして合わせてみようというやり方が多かったんだけど、今回はそうじゃなくて、決まったものの中に俺が入って行く。そこに自分を置いて、新しい何かが見えるのか、楽しみだよ。
――ちなみに3日間連続で、喉のコンディションは大丈夫なんですか?
めっちゃ不安だよ(笑)。でも、何とかするしかないでしょ(笑)。できるだけのケアはもちろん準備するし。3日目を気にして2日目を抑えるとか、そういう計算もしたくないしね。こういう日程、こういう気持ちなんだという事を踏まえて、みなさん遊びに来てくださいと。こういうライブの形式やストーリーを感じてもらって、自分の何かと照らし合わせてもらえたらと思うよ。もちろん、ちゃんとライブはやるけれど、“やらかそうぜ、楽しもうぜ”っていうことですから。人生を楽しもう。仕事も何もかも楽しんでやれるほうがいいにきまってる。こうじゃなきゃダメ、これが正解だっていうジャッジが多いけれど、“いいじゃん”っていう。時代がそういうところに向いているような気もしているし。楽しむために頑張るんじゃなくて、今頑張っていることを楽しむ、そのことを楽しむ、っていうやり方がいいなって思うんだよ。そういう話を同世代や下の世代の奴らとするけれど、“楽しんでる?”っていうのが最近のキーワードなんだよ。東京マラソンのランナーの応援ソングを書くことになって、いろんな方々のメッセージを読ませてもらう機会があったんだけど。ゴールをすることは苦しいけれど、みなさん、その過程を楽しんでる。ただ42.195キロを走るだけだと苦しいだけだけれど、そこにみんなそれぞれのエピソードがあって、走ること、ゴールにたどり着くことを楽しんでいるんだよね。それは人生にも言えることで。同じ事をやるにしても、楽しんでやっているのか、その先の楽しみのために今苦しんでいるのか。そういうことが全てに表現できたらいいなって思うんだ。3日間、喉が心配ですよって心配してたら力入るでしょ。なるようにしかならないしね、楽しんでいきますよ。3日目、声が出なかったら、 “ごめんね、3日目なんで” って(笑)。ケアはしますけれど、それぐらい肩の力を抜いたところで楽しめる生き方を表現できたらいいかな。
――めったにない試みなので、お客さんも貴重な体験ができそうですね。
今までこういうふうに考えてやったことがなかったから、自分でもどういう結果になるのかワクワクしてるよ。初挑戦なので、足を運んでもらって、一緒にスタートしましょう。
――3日間のマラソンですね。最終日にはいいゴールが待っていそうな?
そうだね、面白いこと言うよね(笑)。マラソンだって100人いれば100人の理由、その人なりの理由があって、それを遂げられれば走った意味があるわけだからさ。そういうようなゴールを作れたらいいなと思うよ。
――森友さん自身のキャリアの中でも有意義なライブになりそうですね。
起承転結の、節目みたいな、変わり目の始まりみたいな気がしてる。楽しみにしてほしいなと。
――何事も楽しみながらやるというのは、今後もキーワードになりそうですね。
音楽だけじゃなく、全部にそう思っているんだよ。常に選ばないといけないでしょ、どうしようかって。そういう時に一つ一つの考え方が自分のどこにあるか、どこに行くか、どう楽しむか、その楽しみ方なんだよね。旅がしたいというと、まず3日間ぐらい休みを取らなきゃって思ちゃうけど、旅なんて一時間でできちゃう。例えば、帰り道、いつもと違う駅で降りて、歩きながら何かとぶつかる、何かが起きる。知らない店で誰かと仲良くなったり、知らない人とお酒を飲んだり、いろんなドラマが生まれる。それが旅なんだよね。どこに行くかじゃなくて、どう過ごすかだから。何かのために今があるんじゃなくて、今やっていることを楽しみたいなと。
――3日間のライブが終わった後の変化が楽しみです。
初挑戦なので、自分でもどういう結果になるか楽しみなんだ。新しい自分、まだ見ぬ自分に出会えるようで、ひとつの節目になるような3日間になるような気がしてる。とはいえ、どの夜もみんなと一緒に楽しめれば、それが何より最高。軽い気持で遊びに来てください。みんな、待ってるよ(笑)。
インタビュー/岡本明
「僕らROOTS 66!」宮田和弥[J(S)W]×渡邊邦夫[DISK GARAGE]×青木優[音楽ジャーナリスト/ライター]クロストーク、最終回!
いよいよ佳境を迎える最終回は、歳を重ねて大人になっていくこと、50歳になる今思うことについての白熱トーク!年齢や世代を飛び越えたこのテーマをちょっとでも考えてもらえたら、ROOTS 66の本番がもっと楽しみになることうけあい!
進行・TEXT/青木優
親の立場になったことで芽生えた意識
青木 大人になるって、どういうことだと思います?実はこれは、僕が音楽について書く仕事の中で掘り下げたいと思ってるテーマでもあるんです。少年少女の頃に「大人になるのって面倒くさそうだな」とか「歳とるのはイヤだな」と思う人も多いわけですよ。それでも実際に大人になると、いろいろな立場や人間関係を考えながら生きなきゃいけなくて、多くの責任も背負うことになっていくことになるわけで……渡邊さんの精神年齢じゃないですけど(笑)、現実的には21歳のままではいられないわけじゃないですか。そういうことについて考えたり思ったりすることって、何かありませんか?
宮田 そうだな……僕は、自分のケツは自分で拭けるようにはしていようと思ってますね。それはある意味、等身大ということかもしれないけど。たとえ暴言を吐こうとも、それをちゃんと自分で処理できるようにね……(笑)。
青木 いまだに吐いてるんですよね?
宮田 そうそう、たまに炎上したりしてます。ヤフーニュースになったり(笑)。
渡邊 (笑)ヤフーのトップ(ニュース)ですからね。
宮田 そうです(笑)。だからそれを誰かに言って消してもらうんじゃなくて、自分でちゃんと解決できるようにするというかね。
青木 それは若い頃にはなかった姿勢ですか?
宮田 そうですね、若い時は、やりっぱなし!みたいな。だって俺、消火器撒いたりしてたわけですよ。それなんて、誰が掃除をするんだ?その消火器のお金を誰が払うのか?って話ですし。
![宮田和弥[JUN SKY WALKER(S)]](http://digaonline.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/02/875A3415.jpg)
左:渡邊邦夫[DISK GARAGE] 中央:宮田和弥[JUN SKY WALKER(S)] 右:青木優[音楽ジャーナリスト/ ライタ ー]
渡邊 (爆笑)……消火器、やりましたねえ~!僕は、子供ができて変わりましたね。大人になったというよりも、親になったということ……まあ、それが感覚的に大人になったということかもしれないですけどね。「自分の責任でひとつの新しい命が生まれたんだ」と思うと、考え方が変わりました。精神年齢は変わってないんですけど(笑)、責任というものを明確に感じたのは、やっぱり子供ができた時かな。
宮田 渡邊さん、いくつの時に子供できたっけ?
渡邊 僕は23の時ですね。
宮田 早いですね!そうか……俺は28でできたからね。でも、たしかに子供が生まれるとそういうの、ありますよね。そうか……それで若いのに、しっかりしてるように見えてたんだね?(笑)
渡邊 そんなことないですよ!(笑)
青木 子供ができると責任感が大きくなるというのは、すごく共感します。僕も「自分は人の運命を背負ったんだな」と思いましたし。そうなるまではすごく大変そうだなと思ってたけど、いざ直面すると、もう頑張るしかないんですよね。そういえばうちの子供はいま12歳なんですけど、親に似てライブ好きで、小さい頃からフェスやイベントに一緒に行ったりしてるんです。このROOTS 66も見せてやりたいなと思ってるくらいなんですよ。
宮田 ああ~、それはいいですね!
渡邊 ぜひぜひ!一緒にお越しください。
宮田 うんうん。でもさ、いま50になって思うんだけど……子供ができたことで、いろんなことが制限される時期ってあるでしょう?普通に行ってた呑み屋に行けなくなるとか、カミさんが家にいなくちゃいけなくて、それで自分に当たられたりさ。
青木 すごくわかります。わが家はまだそれに近い状況ですね。
宮田 で、そんな時期もあったけど、それがうちはハタチも過ぎてくれたわけですよ。で、今は朝ドラなんかを、『あさが来た』とかを見ると、「うちの子供が孫を連れてきたら、ほんとに人生楽しいんだろうな」って思うの。「やっぱり子供作っといて良かったな」って俺は思うし、本当の幸せな時間は今からやって来るのかなと思うんですよね。
渡邊 うちの長男はもう就職もしてるし、彼女を連れてきたこともありますからね。そうすると孫も、可能性としては……。
宮田 だよね?そうすると、ますます大人としての自覚が出てくるよね(笑)。
![左:渡邊邦夫[DISK GARAGE] 右:宮田和弥[JUN SKY WALKER(S)]](http://digaonline.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/02/875A3388.jpg)
左:渡邊邦夫[DISK GARAGE] 右:宮田和弥[JUN SKY WALKER(S)]
50歳でもまだサナギ、まだ夢の途中
青木 でも50って、響きが重くないですか?この前、母親に「あんたももう50なんだね」と言われて、「そうだよなあ、そう言われると重いな~」と思ったんですよ。
宮田 ああ、でも今の50って、昔の30とか20代とかぐらいじゃないかな?侍の時代だったら50歳なんてかなり老人だけど、今は同じ年齢でも違うんじゃないかと思うんですね。50でも、まだサナギぐらいなんじゃないかとも思うんですよ。
青木 サナギ?(笑)成虫にもなってないですかね?
宮田 そうそう。だって、もし80まで生きられるとしたら、あと30年あるわけじゃないですか。そういう意味ではまだまだここから長いし、ツラいこともあるんだろうし……病気とかね。
渡邊 そうですね。でもこのROOTS 66の仲間たち、同級生たちには、50歳ということを全然感じないですね。僕ら裏方も含めて、現役感というか……勝手な見方ですけど(笑)、現役感がある気がします。
宮田 ああ、わかるわかる!そうだよね。
青木 それは……あえて青臭い言い方をしますけど、まだ夢を追いかけてる、というか。
宮田 うん!それはたしかに。まだ夢の途中な感じはあるかな。とくにこういう世界にいる人はみんな、気持ちが若いんだろうね。そこは舞台にいる側だろうが、ライターの人だろうが、PAだろうが楽器担当の人だろうが、ね。
いま思う、これからの人生の生き方
[織田哲郎&ダイアモンド ユカイ]ロックンロール対談!ついに目覚めた孤高の恐竜・ROLL-B DINOSAURについて語る!
ROLL-B DINOSAURは作曲家、プロデューサーとして数々のヒット曲を世に放ってきた織田哲郎が“ロールするバンド”を作ろうと、ボーカリストのダイアモンド ユカイに話を持ちかけ、さらにGUNIW TOOLSのASAKI(Gt)、FUZZY CONTROLのJOE(Ba)、LINDBERGのCHERRY(Dr)が参加して2015年初夏に結成されたスーパーバンドだ。百戦錬磨のミュージシャンが結集したが、いぶし銀という表現はふさわしくない。ロックンロール初期衝動が詰まった勢いあふれるみずみずしい音楽が展開されているからだ。昨年12月リリースの1stアルバム『ROLL-B DINOSAUR』も骨太のロックンロールをベースとしながらも最新の音楽のエッセンスも吸収して、今の時代にリアルに響く作品となった。3月31日からツアーも始まる。バンドの生みの親であり、ギター担当の織田とボーカルのダイアモンド ユカイに聞いていく。
──1stアルバムが完成しての手応えは?
織田 1枚目にふさわしい勢いのあるもの、これから始まっていくんだというパワーが詰まったものができたと思ってます。今時のレコーディングって、打ち込みや編集を駆使することでどんどんカチッとしたものになっていく傾向があるんだけど、このバンドは初期衝動まかせのライブ感のあるものをそのまま提示していくというがテーマだったんですよ。そのとおりのものになったかなと。
──バンドの演奏するスリル、熱がまんま伝わってきました。
ユカイ 最初に録音したときもものすごいエネルギーがあって、歌うのが大変だった(笑)。「これでいいんですか?織田さん?」って聞いたら、「パンクだからね」って言う。えっ、このバンド、パンクだったんだ、知らなかったって思ったんだけど、それくらい衝動やエネルギーが詰まってる。
──1曲目の「教訓」からエネルギーがほとばしりまくってます。
ユカイ 大体バンドって休む場所があるじゃない?ギター・ソロがないんだもん。えっ、ずっと歌ってなきゃならないのって。しかも最初からテンション・ハイだし。
織田 そこから下がらないからね。
ユカイ やばいよね。Aメロでこれだけのハイ・テンションで歌っちゃったら、サビはどうすればいいんだろうって、血管が切れそうになった(笑)。休みながら歌ったり技巧的に歌ったりすると、織田さん、首を縦に振らないから(笑)。そんな始まり方だった。
──作曲作詞はどんな感じで?
織田 曲によって色々でしたけど、ある程度材料が出てきたら、あとはスタジオで音にしていく方法。歌詞はね、ユカイくんが歌うと思うといくらでも書けちゃうんだよ、俺(笑)。
──聴いていて、楽しんで書いてる感じも伝わってきました。
ユカイ 織田さん、おかしいだろうっていうぐらい、ハイペースで書いていた。突然連絡がくるんですよ。「できたよ、ユカイくん」って。行くと、6曲ぐらいできている。えっ、こんなに一気にできちゃったのみたいな。
──どうしてそんなにすらすらと?
織田 今までって、ソロ・アーティストのものしか書いたことがなかったんですよ。ソロ・アーティストが歌うのは当然フィクションなんだけど、個人のイメージから大幅に逸脱することはできない。ところがバンドの場合はどこまでも虚構でいいってとこがある。おまけにユカイくんが歌うわけですから。だって、名前がダイアモンド ユカイですよ。その時点でおかしいでしょ(笑)。どこまでいってもリアルなのか虚構なのかがわからない裏腹な存在として成立している。その彼がボーカルなんだから、こっちもどこまでも膨らませてOKなので、すっごい楽(笑)。どんなに極端に振っても、かっこよく歌ってくれる。
──ユカイさんはROLL-B DINOSAURのボーカリストとして、どんな意識で歌を?
ユカイ 織田さんが言ってたのと一緒かもしれないけど、バンドだから言えることってのはあるんだよね。どさくさに紛れて言えちゃうっていうか、バンドが隠れ蓑になってる。「あんなこと、歌っちゃっていいの?」「いや、バンドだからさ」って(笑)。そうやって、隠れ蓑を利用して、好き勝手言えるのもバンドの魅力だな。その集合体というか、合体恐竜みたいなのがROLL-B DINOSAURなんじゃないかな。
──しかもどの歌も今の時代にリアルに届いてきます。
ユカイ 最初に誘われた時に織田さんが言ってたことでもあるんだけど、今の空気感の中でロックンロールしたいってのがROLL-B DINOSAURの原点だからね。
──「Runaway from Chicago」はタイトルもかっこいいですが、歌の内容もシビレました。
織田 最初は詞のイメージがなくて「どんなのがいい?」ってユカイくんに聞いたら、「アルカポネに追われてるのはどう?」って言う。なんだそれ?ってびっくりしたけど、おもしろくて、するっとそのイメージで書けました。
ユカイ 俺も自分で何言ってるかわかんないんだけど、なんとなくのインスピレーションを織田さんに投げたんだよ。そしたら次の日に詞になってて、びっくりした(笑)。逃げるルート、ちゃんと本物のアメリカの地理に沿って書いてるってところがすごい。
織田 シカゴから南へ逃げるとしたらどういうルートがあるか、アメリカにいる知り合いに調べてもらって、いっぱい地名を出してもらったんですよ。
──レコーディングはどんな感じで進行していったのですか?
織田 メンバー全員がそれなりに経験のある人間たちだからってのはあるんだけど、時間をかけずにやっていた。おもしろいのが出たら、即OK。スタジオでセッションをやっててもおもしろい。ASAKIももともとヘンなヤツだし。
ユカイ 軟体動物みたいな(笑)。
──恐竜かつ軟体動物なんですね。
ユカイ 何でもくっつける才能を持ってる。
織田 ギタリストとしてちょっと変なことをやるのに魅力を感じてるヤツだから。ユカイくんのアルカポネの話じゃないけど、なにそれ?ってのをサウンド面でやってくるから、そのへんもおもしろい。世代もバックグラウンドも違う人間の集まりだから。ざっくりいうとロックンロールってことになるけど、全然違うバックグラウンドから出てきたものがひとつの音楽になっていくところがすごくおもしろいんですよ。
──ロックンロールという名前のミクスチャーという感じですね。
織田 やってることとしては、ホントにミクスチャーですね。
──ユカイさんが歌詞を書いて、織田さんが作曲した「馬の耳に念仏」はロックンロール、ブルース、シャンソンが混ざったような曲ですね。ラスベガスあたりにも似合いそうな曲を歌いこなしているところも見事ですね。
ユカイ 「馬の耳に念仏」はおもしろい曲だな、いい曲だなと思って。総合的にはロックなんだけど、いろんな要素が入ってて、メロディーが独特で、ハリウッド的な要素もあるし、ジャジーなところもある。ものすごく気に入ったんですよ。向こうのスタンダードみたいな感じ。
織田 そうだね、古き良きエンターテインメントのイメージはあった。ユカイくんもそういうものに対する共感、あるよね。
ユカイ 根本的に向こうのスタンダードのメロディーが好きなんですよ。子どもの頃にそういった曲をなんとなく耳にしてきたせいかな。古くはシナトラとか。それでこの曲にもグッと来ちゃって、すごくいい曲だなと思って、自分の中ではスタンダードだと思って歌っているわけ。
──フェイセズのアルバムのタイトルにもありますが、このタイトルにしたのは?
ユカイ バカの歌だから、馬鹿ってところで、こうなった。最初に織田さんが、「ジャジー・バカ」って言ってて、なんだそれ?ってこともきっかけになった。やっぱりどこかバカなイメージあるんだろうね。今って、バカになれない時代じゃない?でもホントはバカのほうが幸せだと思うんだよね。音楽もバカじゃないとできないし。バカになった瞬間に、自分の頭の中で考えてた理想も含めて、決めつけみたいなものを忘れるでしょ。音楽の良さって、そういうものを飛び越えるところにあると思う。ロックは特にね。バンドなんて、ホントそうだよ。
織田 みんな、相当根がバカですよ。
──アルバムのラストの曲「女神(ミューズ)」は素の歌声が染みてきました。この曲も織田さん作曲で、ユカイさん作詞ですね。
織田 俺ら恐竜なんだけど、ガンダムに例えるとしたら、でかいロボット同士が戦ってるだけだと、どっか味気ないじゃない?その中に人間が入ってないとさ。この曲はそんな感じ。
ユカイ 織田さんがね、「この曲はユカイくん書いて」って渡されたから、作らないわけにいかない。ネットでも出ちゃったんだけど、妻が緑内障になったこともあって書いた歌詞ではあったんだよね。だけどキース・リチャーズも言ってたけど、歌詞の中にはいろんな人が存在していて、自分だけの歌じゃないし、そこにはいろんな意味があって、自分も含めていろんな人を集めて合体したものが歌詞の答えなんだって。俺もそうだよなって思う。織田さんもそうでしょ?
織田 結果的にはね。
ユカイ 織田さん、自分のことをいっぱい書いてるわけですよ、隠れていろいろ。俺に言わせてるようにしながら(笑)。
──そういうところもまさにバンドならではの魅力と言えそうですね。3月31日からツアーが始まります。どんなステージにしていきたいですか?
ユカイ うねりが生まれるところまで持っていきたいよね、バンドをやる以上。バンドって、うねってなんぼだから。
織田 多分、3回やるなかで、つかめるものがあるんじゃないかと思いますね。
ユカイ バカの境地に行きたいっていうのはあるよね。バカになれるまでにちょっと時間がかかると思うけど。
──見に来る人にメッセージをいただけますか?
織田 だまされたと思って、とにかく来てよってことですね。観てくれれば、きっと何か感じてもらえると思います。
ユカイ このバンドでどこまでもバカの境地まで行きたい。みんなでバカになろう!頭で考えることを脱して、バンドも観客もバカになった時に、きっとサムシングが見えてくるから。
インタビュー/長谷川 誠
Live Photo/森島興一
「Roll-B Dinosaur」MV FULL
SHISHAMO、「いままででいちばん好きなアルバム」と新作を語る宮崎朝子に迫る!4月から初の全国ホールツアーもスタート!
2016年1月4日に初めての日本武道館公演を成功させたSHISHAMOが3rdフルアルバム『SHISHAMO 3』をリリース!シングル「熱帯夜」「君とゲレンデ」、既にライブで披露されている「中庭の少女たち」「旅がえり」などを含む本作は、ロックバンドとしてのスケールアップはもちろん、ポップスとしての精度もさらに高まった充実作。さらなるブレイクのきっかけになるであろう本作について、宮崎朝子(G&V)に訊いた。
──前作『SHISHAMO 2』以降、「ミュージックステーション」に出演したり、武道館のライブがあったり、バンドの状況はかなり変化したと思うのですが。
それはあまり感じてないかもしれないですね。やることはあまり変わってないというか、なんとなく「(ライブの)会場が大きくなってるな」っていうくらいで(笑)。
──曲を書いて、バンドでアレンジして、ライブをやって。その生活は変わらないと。
変わらないですね、ぜんぜん。忙しいのは好きじゃないんですけど(笑)、1月はけっこう休みがあったんですよ。そういうことがあると“また1年がんばろう”って思えるので。
──友達が少ない宮崎さんは休みをどんなふうに過ごしたんですか?
ひどい(笑)。けっこうアクティブだったんですよ、それが。まず、大分の温泉に行きました……吉川(美冴貴/Dr)と(笑)。松岡(彩/Ba)は大阪に帰省してたから、ひとりで行こうと思ってたんですよ。そしたら吉川が行きたそうな顔してるから「行く?」って言ったら「行く」って言ってくれて。それは1泊だけだったんですけど、帰ってきて、すぐニューヨークに行きました。
──え、すごい! ひとりで?
いや、たったひとりの友達と(笑)。6日間だったんですけど、大雪で非常事態宣言が出てたんですよ。でも、意外と楽しくて。外国とかあまり興味がなかったんですけど、“せっかくの休みだし”と思って。行って良かったです。
──ホントにアクティブですね~。
でも、それだけですけどね。松岡はたぶん、毎日のように違う人と遊んでた思うんですよ。私はメンバー以外の人とひとりしか会ってないですからね。3週間くらい休みがあったのに。
──(笑)。ではニューアルバム『SHISHAMO 3』について。シングル曲、既にライブで披露している曲も収録されていますが、制作前はどんなアルバムにしようと思ってました?
『SHISHAMO 2』とは違うものにしたいとは思ってましたね。『SHISHAMO』も『SHISHAMO 2』も自分たちらしいアルバムだと思うけど、同じことをやってもダメだなって。具体的に言うと……いままではライブでやることを想定して作っていたところがあるんですよ。“ここにギターを重ねたいけど、ライブでやるときにきついもんな” “ギター1本しかないし”と思ってやめたり。でも、今回は“作品としていいものにしたい”という気持ちが強かったんです。SHISHAMOがいろんな人に知られるにつれて“好きで聴いてるけど、ライブには行ったことがない”という人も増えてると思うんですよ。だからひとつの作品として良いもの作らなくちゃいけないなって。
──そういう意識で制作していると、当然、アレンジの方向性も変わってきますよね。「みんなのうた」にはホーン・セクションも入っていて。
縛るものがなくなっていきますからね。ライブでやるときのことを考えないで、自分の頭のなかになっている音をできるだけ入れていきたいなって。そこはいままでと違いますね。楽曲に関しても、どんどん広げたくなってきてるし。
──「中庭の少女たち」「笑顔のとなり」「手のひらの宇宙」などミディアムテンポの楽曲も印象的でした。
私、いわゆる“アルバム曲”が好きなんですよね。
──シングルの表題曲とかアルバムのリードトラックではなく、アルバムでしか表現できないような曲ということですか?
そうですね。私はアルバムの8曲目くらいに入ってる暗い曲ばっかり聴いてましたから(笑)。自分で曲を作るときも、いちばんモチベーションが上がるのは“アルバム曲”なんです。
──「君とゲレンデ」みたいなポップな曲は意識的に狙って作ってる感じなんですか?
まわりの空気を読んで“作らなくちゃな”って思って(笑)。
──なるほど(笑)。今回はどんなアルバムになったと感じてますか?
いままでは“お客さんが好きな曲、私はあんまり好きじゃないな”って思ってたんだけど、今回“私も好きだし、みんなも好き”というちょうどいいバランスが取れたんじゃないかなって。何て言うか“(リスナーを)限定したくない”っていう気持ちがあるんですよね。いろんな人の日常に寄り添えるアルバムにしたかったというか…。そこもわりと上手くいったと思います。私もいままででいちばん好きなんですよ、今回のアルバムは。
──素晴らしい。ライブで披露していた新曲も好評でしたからね。
そうなんですよ。去年のツアーで新曲を4曲やってたんですけど、最初はやっぱり「これ、私しか“いい”って言わないだろうな」って思ってたんです。でも、お客さんがすぐに覚えてくれたり、Twitterで「新曲メッチャ良かった」って呟いてくれて。いま自分がいちばん好きなのは「中庭の少女」なんだけど、みんなもすごくいいって言ってくれて…。そこは充実した感じでしたね。
──レコーディングもスムーズでした?
そうですね。スケジュール的にはタイトだったんです。ツアーと同時進行でレコーディングをやってたし、武道館が終わったあともまだ(レコーディングが)続いていて。いままでよりも忙しかったんだけど、心にはゆとりがあった気がします。いつもけっこう焦ってたんだけど、今回はそんなこともなく、しっかりこだわって作れましたね。ただ、ライブとレコーディングの切り替えは相変わらず難しいです。ちょっとした感覚の違いだと思うんだけど…。
──アレンジも少しずつ高度になって、音数も増えてきて。演奏力も求められますよね。
演奏は……わりと良くなったんじゃないかなって。もちろん、まだまだ頑張ろうと思ってますけどね。ずっと“いまのままじゃダメ”って思ってるんですよ。もともと演奏が上手いって感じでやってるバンドじゃないんだけど、ライブの規模はだんだん大きくなってるじゃないですか。だから余計に“このままじゃ…”って焦るっていう。練習もけっこうやってるんですよ。学校に行くようにスタジオに入ってるので。
──特に吉川さんはマジメに練習してるみたいですね。
マジメですね!昨日も打ち合わせのあと、ひとりでスタジオに入ってたし。最近、そのことを恥ずかしがって言わないんですよ。「私、この後、用事あるから」って帰っちゃうんだけど、後で問い詰めると「スタジオに入ってました…」って(笑)。松岡も引っ張ってくれるんですよね、吉川は。「ふたりで練習するよ!」って。3ピースバンドだから、リズム隊はすごく重要ですからね。
──そして4月からは初の全国ホールツアーがスタート。『SHISHAMO 3』の楽曲をじっくり楽しめるツアーになりそうですね。
いちばん大事なのは曲だと思ってるので、楽曲をいちばんいいカタチで届けることを考えながらライブをやりたいですね。曲が主役になると思うし、そういう意味では、いまのSHISHAMOがやりたいライブが出来るんじゃないかなって。私たちのライブって「生まれて初めてライブに来ました」っていう子も多いんですよ。それはすごく嬉しいし、そういう人たちに自分だけの楽しみ方を見つけてほしいなって思います。ただ、ちょっと久しぶりのライブだから、不安なところもあるんですけどね。
──そんなに久しぶりでもないでしょ?
ずっとライブをやり続けてるので、ちょっと間があくと、やり方がわからなくなっちゃうんですよ。この前も“マイクの位置って、どれくらいだったっけ?”みたいになっちゃって(笑)。でも、大丈夫だと思います。何だかんだ言って、3人とも本番に強いタイプなので。
インタビュー/森朋之
さくら学院、本日ニュー・アルバム発売!“2015年度卒業式”を間近に控えたロング・インタビューを敢行!
──まず、2015年度のさくら学院を振り返っていただけますか?
磯野莉音 12人のメンバーのうちの半分、6人が転入生だったので、今年度が始まった頃は正直、どうなるのかわからなくて。不安な気持ちが大きかったんですよね。
白井沙樹 しかも、転入生6人のうち、小等部が4人もいて。みんな人見知りもしない明るい子たちなんですけど、最初の頃はメリハリをつけることが難しくて。
大賀咲希 はじめは友達感覚だったり、仕事というよりも楽しく遊ぶっていう感じがあったと思うんですね。
白井 でも、夏頃からみんなの自覚が芽生えてきて、だんだんと光が見えてきて。
倉島颯良 レッスン中にもメンバーとよく目が合うようになったし、1つになったって感じる瞬間が増えたんですよね。それに、転入生に教えることによって、自分が気付かされることもたくさんあって。転入生のおかげで成長することができた1年だったなって思いますね。
大賀 転入生はみんなすごく前向きで、常に新鮮な気持ちで取り組んでて。転入生のおかげで今まで在籍していたメンバーもまた新たな気持ちでスタートできたし、颯良が言ったように、一人一人がいろいろなことに気づけた年でしたね。
磯野 転入してきた年度も学年も違うからこそ、新たな発見もあったし、それぞれに刺激しあって、お互いに成長できたなと感じていて。今となっては、この12人でさくら学院として過ごせていることを本当に良かったなって思ってます。
──中3の3人は卒業間近ですね。
磯野 私は転入してきてから5年経つので、自分の生活の中からさくら学院がなくなってしまうことが想像できなくて。まだ実感は全然ないんですけど、初代のメンバーと活動していたのは私だけなので、自分にしか伝えらえないことはしっかりと伝えたいし、将来の自分のためにも自分にできることは精一杯やって、今を一生懸命に頑張りたいなって思います。
大賀 転入生が入ってきたばかりの頃は、さくら学院じゃないみたいだなって思うこともあったんですけど、今、振り返ってみると、新しい空気感を味わえたのは良かったなって思ってて。中3の3人は特に悩んだり、壁にぶつかることも多かったんですけど、今までのさくら学院と新しいさくら学院、2つのさくら学院を経験できたのは恵まれてるなと思うし、いろいろなことを感じた貴重な4年間でした。
白井 最初の頃は本当に手探り状態で、どうやったら転入生に伝えたいことが伝わるのかが分からなくて。難しいって思うこともあったんですけど、そこで諦めずに、ただがむしゃらにやってきたらからこそ、今の私たちがいるなって思ってて。やっぱり諦めないことは大切なんだなってことを実感したし、転入生たちが成長して自立していく様子を見ていることも楽しかった。今度年、この12人で活動できて本当に良かったなって思います。
──3月3日には今年度の活動の集大成となる通算6枚目のアルバム『さくら学院2015年度〜キラメキの雫(かけら)〜』がリリースされます。それぞれのお気に入りの曲を教えてください。
倉島 今年度が始まって、初めて録った「夢に向かって」の2015年度バージョンですね。一番最初のAメロを中3の3人と一緒に4人で歌わせてもらっていて。まさか自分が歌わせてもらえるとは思ってなかったので、すごく嬉しかったし、ちゃんとやらなきゃっていう気持ちもあって。これまで以上に大切に歌って、踊ろうって思うようになったんですね。それに、この曲は5年前、さくら学院が結成して初めて作ってもらった曲でもあるので、5周年を迎えた今、2010年度バージョンと聞き比べてもらって、声や色の違いを感じてもらえたらいいなと思います。
大賀 私は中3曲の「未知標〜ミチシルベ〜」です。歌詞の中に、中3一人一人の頭文字が入ってるのが、とってもお気に入りのポイントで。初めて聴いた瞬間から、3人で「これは自分たちにしか歌えない曲だ」って喜んだし、全体としても今年の中3らしい歌詞になってるんですよね。すごく悩んだこともあったけど、それは決して無駄なことではなくて。悩んだことが明るい未来につながった今となっては、悩めてよかったなと思っているので、そういう気持ちを込めてしっかりと歌いたいし、中3の関係性も見せていきたいなと思ってます。
磯野 うん、たくさん悩んできたけど、中3の二人に助けられたこともたくさんあったので、本当にこの3人で今年度を引っ張ってこれてよかったなって思います。
白井 私は「キラメキの雫(かけら)」。この殻を打ち破って、キラメキの雫(かけら)を探すんだっていうサビがあって。やっぱり、さくら学院にいるうちは、さくら学院という場所に守られている部分がたくさんあったと思うんですね。その殻をぶち破った時にもっとキラキラした未来が見えてくるんじゃないかと思うし、卒業してからもキラメキの雫をどんどん探していきたい。迷いや不安がないわけではないけど、いろんなことに挑戦していきたいなっていう勇気をもらえる曲だと思ってます。
磯野 私は「約束の未来」なんですけど、卒業を間近に控えているからこそ、歌詞が自分にすごく響いて。<ドリーム>という歌詞を自分の夢に置き換えて歌ってみたりしてるんですね。自分が卒業してからも自分の背中を押してくれる1曲になるんじゃないかなって思ってます。
──今、中3の3人からは“未来”や“夢”という言葉が出てきましたが、卒業後の未来はどう考えてます?
磯野 苦手なことがたくさんあるので、苦手なことを克服して、自分に自信をつけたいし、まだ経験できてないこともいっぱいあるから、新たな挑戦をしてみたいなと思います。小さなことでいうと、乗ったことのない飛行機に乗ってみたいし、英語にも挑戦してみたい。まだ一人で何かをしたことがないので、自分が成長するためにも、海外とか、自分の知らない世界に行って、一度自分自身と向き合ってみたいなっていう思いがありますね。
大賀 これからもきっとうまくいかないことだらけだと思うんですけど、限界を決めつけないで、思いっきり羽ばたいていきたいなって思ってます。辛いことって、一見嫌なことのように感じるけど、逆にずっと甘やかされていたら絶対に成長できないし、幸せなことではないと思うんですね。だから、これからたくさん起こるであろう、辛いことにもどんどん立ち向かって、大人になっても成長し続けられるように頑張りたいです。
白井 歌手、アイドル、モデルや女優さんとして活躍している先輩もいるし、芸能界を引退して、自分の夢に向かって頑張ってる子もいる。自分はどの道に進むのがいいのか、まだわからないんですけど、さくら学院の最終目標はスーパーレディーになることで。それは、職業ではなく、立派な女性になることだと思うんですね。そのためには、もっともっと自分を磨いて行って、ああいう先輩になりたいって思われるような人になりたいです。
──3月27日の卒業式まで一か月を切りましたね。
倉島 3人がいなくなった後のさくら学院はまだ全然卒業できないんですけど、卒業式までの一か月でできることはたくさんあると思うし、さくら学院にもっと本気で向き合って、絶対に悔いの残らない卒業式にしたいと思ってます。
磯野 私は今まで卒業生全員を送り出してきたんですけど、もう自分の番が来てしまったのかという感じで。全然実感はないんですけど、自分らしく笑顔で卒業したいし、ライブビューイングを含め、全国の父兄さんと一緒に2015年度の集大成を楽しめたらいいなと思ってます。
大賀 最後の公演なので、難しいことは考えずに楽しんで終わりたいですね。パフォーマンスに関しては、1つもミスをせずにやりきると同時に、中2の颯良や美澪奈を始め、後輩たちにちゃんとバトンをつなげられるようにしたいと思います。
白井 私はメンバー全員が今年度の最大限を出せたらいいなと思っています。今、この瞬間も立ち止まってる暇なんてないので、ここからどんどん成長して、卒業式では最高のパフォーマンスをみなさんにお届けしたいと思ってます。
──最後に、来年度に期待することを聞いてもいいですか。
磯野 私が卒業したら初代のメンバーと活動していたメンバーがいなくなっちゃうんですよね。今までの歴史も大切にしてほしいけど、新しいものが生まれるんじゃないかっていう思いもあって。まだどうなるかわからないけど、個人的には、客席からさくら学院のステージを見たことが1回もないので、客席から見るのが楽しみです。
大賀 一番の楽しみは、中3になる颯良と美澪奈の二人がどんな風にさくら学院を引っ張っていくんだろうなっていうことですね。まだ見せてない一面があると思うので、今は心の準備をして、来年度になったらバーンと見せてもらいたいです。
白井 私はもともと父兄(ファン)で、ライブにもたくさん行かせていただいていて。毎年、どんな色に染まるんだろうっていうのが楽しみだったので、来年度のさくら学院がどんな色になって、中3になる二人のコンビがどんな風になるのかが、ただただ楽しみです。卒業生として不安がないって言ったら嘘になるけど、さくら学院をきっと良いものにしていってくれるだろうなって期待してます。
倉島 莉音ちゃんが言ったように、初代から知ってるメンバーは一人もいなくなってしまうんですけど、次に入ってくる転入生に、今までの歴史やさくら学院が大切にしてきたことを教えるのは中3の役目だと思ってます。そこは絶対に途切れさせたくないなと思ってることですね。パフォーマンスに関しては、メンバーによって今年度とは違った色が出てくると思うので、美澪奈や中1の3人と協力しながら2016年度のさくら学院を作っていきたいなと思ってます。
インタビュー/永堀アツオ
「3・25勝負の代官山UNIT成功させるぞ」祈念:つしまみれ17年史インタビュー!(後編)
3・25代官山UNITに向けての「つしまみれ17年史インタビュー」、前回は結成からメジャー所属期までふり返りつつ、そのメジャー末期にすでにDIYな活動を行っていたことなども語っていただきました。後編は独立以降のハードな歩みと現在地、そして代官山UNITワンマンとその先にそびえるでっかい目標について、話していただいております! 彼女たちの決意を共有していただければ幸いです!
「3・25勝負の代官山UNIT成功させるぞ」祈念:つしまみれ17年史インタビュー!(前編)
インタビュー/兵庫慎司
独立とそれに伴う苦難
やよい で、ビクターと契約が終わる時に、「自分たちでやれば?」って言ったのも、そのライブ制作の人で。1年ぐらい迷ったんですけど、なんか、「そうか!」と思って。レコード会社を探すのか、事務所を探すのか、よくわからないままにいろんな人に会ったりしてたんですけど、なんか今いちピンとこないな、って。なんか「この人とやりたい」っていうのが見つからなくて。でも、何かないと物事が円滑に進まないから、モジャーレコードを作りたいって前から言ってたから、作ろう、って。
まり 2010年にレーベルを作って、流通をスペースシャワーにお願いして。
やよい その流通の契約を交わさないといけない段階になって、自分たちがどこにも所属してないととても分が悪い、という話になって、それで会社にしたんですけど。
まり で、華々しく「独立してワンマンツアーだ!」って組んだんですけど、それが2011年の3月だったので、モロに震災で……ライブ中止になって、延期にして、けっこうそれで負債を(笑)。

二日間の避難生活。たくさんの人に助けてもらったよ。
無事に帰宅したものの、心が不安定になった三人はしばらく実家に帰る。
やよい 自分たちにとってはすごい負債だったね。
まり 西日本の方は関係ないから、普通にキャンセル料とか請求されて、「いたたた」とか。北海道に行く飛行機も取ってたけど、乗れないからまた取り直して。いちいち「いたたた」ってなったし、心もやられてるから。
みずえ 折れたねえ、心(笑)。
まり それで「どうすればいいんだ?」ってちょっと悩んで、「あ、みんなが違う世界に行けるような音楽を作ればいいんだ。あたしたちも違う世界に行っちゃうような音楽だ」と思って、『SHOCKING』(2012年)っていうアルバムの制作にとりかかるんですけど。つしまみれ版『ジギー・スターダスト』みたいな、架空の星の話を曲にしよう、ロック・オペラみたいなのを作ろう、って。それで3人で集まって、構想とストーリーを考えるのにめちゃくちゃ時間をかけて。

「SHOCKING」 (Mojor Records / 2012.2.8)
やよい だから2011年はライブ少ないんです。
まり で、2012年はツアーしたんだ?
やよい でも、『あっ、海だ。』の頃ほどガツガツとはやってなくて。
まり ああ、そうか。本数をしぼってクオリティを上げよう、っていう方に向いてたんですよね。でも東京でいっぱいやってた頃みたいにもっとライブを観たい、っていう人の声も聞くようになったりして。ちょっと悩んだりしました。アメリカも行ってなかったし……だから、独立して1~2年は、けっこう迷える年だったかもしれないですね。
名エンジニア、中村宗一郎との出会い
やよい でもその『SHOCKING』っていうアルバムを、ずっとこの人に録ってほしいと思ってた、エンジニアの中村宗一郎さんに録ってもらって。それがすごくいい出会いだったんですよね。『SHOCKING』は、私たちが作り上げたものを持って行って録ってもらったんだけど、それが終わった直後に「次は一から僕と一緒にやりませんか?」みたいなことを言ってくれて。今まで、はりつめてはりつめて、自分たちだけでなんとかしなきゃ!みたいにがんばって、変わりたいのにどうやれば変われるかわからない、ってなってたところに現れてくれて。でもけっこう叩きのめされるんですけど(笑)。「きみたち、今のままじゃダメですよ。変わらなきゃいけないの、わかってますよね?」みたいな。

惑星SHOCKINGから円盤SARAに乗って三つの食材キャベツ・ワイルド、マライス、ミゼヴィが飛来。彼女たち「THE SHOCKINGS」とつしまみれの伝説のツーマンライブは下北沢SHELTERで開催。
この三つの食材がつしまみれに伝えた物語こそが、アルバム「SHOCKING」の世界。
まり 10年以上やってて、動員はこれくらいで、状況はこんな感じ、っていうことは、今の自分たちでは足りない、変わらなきゃいけないんじゃない?って言ってくれて。自信がないとできないから、「私たちは私たちしか好きじゃありません」みたいな感じで、気を張ってたんですよね。それをメタクソにされて。「いいバンド、いくらでもいるよ? ほかのバンドちゃんと聴いてる?」とか言われて。それで、大学生の時みたいに洋楽を聴き漁ったりしなくなったな、自分たちでバンドやって満足してたな、と思って。
だから、中村さんが一緒にやってくれるようになって、音楽的にはすごい未来が明るくなって。「歌えるリフにしようか?」とか、「歌詞、わざと難しくしてない? もっと簡単にしてみたら?」とか、「ドラムとベース、なんでそんなに詰め込んじゃうの? 一回もっとスカスカにしてみたら?」とか何気なく言われて。それでその場で演奏してみたら、自分たちが作ってきた曲がガラッと変わって。

つしまみれ「つしまみれ」 中村さんにアレンジから参加してもらって新境地を発見。余分な音を削ぎ落とし、シンプルな音を残していくことが更に「つしまみれ」らしい楽曲を生み出していくことを体感する。
やよい 「この曲はこうだ!」って思ってたのが、ほんのひとことで可能性がバッて広がって。「あ、この曲のいいとこってこっちだったんだ!」とか。それで、『つしまみれ』(2013年)っていうアルバムから、一から一緒に作るようになったんですね。
最新アルバム『人間放棄』
まり で、そのあと15周年ってことで、2枚組のベストアルバム(『つしまみれまみれ』2014年)を出して、その次が、2015年の2枚のアルバムです(ニューアルバム『人間放棄』と、通販&ライブ会場限定リリースの『今月の歌 2015』)。
やよい 『つしまみれ』っていうセルフタイトルのアルバムが、ほんとに生まれ変わったというか、最初の挑戦の第一歩、みたいなアルバムだったんですけど。だから、反省すべき点も多かった、それを生かして作って、今の自分たちをいちばん表現できたのが、この『人間放棄』で。
まり ハードな部分と繊細な部分、両方をもっと生かそうっていうアルバムです。
やよい 『つしまみれ』に比べたらちょっとシリアスな雰囲気で。前がポップだったので。
まり 納得できるものができるまで出さないようにしよう、とか言って、プリプロから中村宗一郎さんと作り始めて。で、リリースが見えた頃にツアーを組み始めたので、あんまりがっつり本数できませんでしたけどね。15本くらいがせいいっぱいで。
みずえ しかも全部平日になって。
まり でも、意外にそれにしてはよかったよね。「あ、全国に待ってくれる人がいる!」と思って……だから最近、音楽的には充実してるけど、ライブももっとがんばろう、という気持ちになれました。
勝負のライブ、3・25代官山UNIT「つしまみれワンマンライブ 花まみれ2016」
まり これは、私たちの「武道館でぶどうパンライブ」への第一歩のライブです。ディスクガレージで初めて一緒に仕事させてもらった時から、「武道館でぶどうパンを投げるライブがやりたい」ってずっと言ってるんですけど。

BURST MAX’15、フラカン先輩のステージを観て 「武道館でブドウパン」ライブへの思いを高めたつしまみれ。
それを絶対にかなえなきゃ、って思ってて。まず代官山UNIT、600人集めて満員にすることを、自力と、今いるファンのみなさんの力で成し遂げなきゃ、私たちはダメになってしまうと思っていて。
去年12月にフラカン先輩(フラワーカンパニーズ)が、武道館やったじゃないですか? 去年の9月に、出雲の『BURST MAX’15』っていうフェスでお会いして。そしたら(グレート)マエカワさんが私たちのステージを全部観てくれて、「めちゃくちゃよかった。かっこよくなってるね」って言ってくれて。そのあとフラカン先輩のライブを観て、(鈴木)圭介さんが風邪で全然声出なくて、四星球が一緒に歌ったりするライブだったんですけど、すごい感動したんです。そのあとマエカワさんを呼び出して、「打ち上げ始まる前に一緒に飲んでください」って。そしたらQちゃん(ローディー)とふたりで来てくれて、一緒に飲んでくれて。
「武道館でやりたいんです。でも独立してなかなか大変なんです」みたいな話をして。「じゃあどんどん仲間を作っていこうか、とりあえず今日の打ち上げから。仲間を作っていくのがまず大事だ、俺らもできたんだからつしまみれもできる」って言ってもらって、すごい勇気をもらって。で、打ち上げでいろんなバンドの人に紹介してくれて。

BURST MAX ’15 主催のスッスーとつしまみれ。
そこから「もっと具体的に『武道館やる!』と思わないとダメだ」と考えるようになって。それで12月にフラカン先輩の武道館を観に行って、めちゃめちゃ感動して、うちらも一歩でも近づけるようにがんばろう、と思って。この2、3年が勝負かなと思ってたら、ちょうど代官山UNITの週末が空いてるという情報が入って「そこ、いただきます」と。
もう一回、ちょっと背伸びしたところで、「あ、つしまみれってまだいたんだ?」からでいいから、やってみようと。それが代官山UNITです。まずは昔来てくれてたお客さんたちとか、もともとつしまみれの音楽を好きだった人を取り戻していこう、そこから始めよう、っていう。なので、今まででいちばん集中してます、1本のライブに。
「つしまみれワンマンライブ 花まみれ 2016」特別企画!
つしまみれサイン入りポスターを抽選で3名様にプレゼント!!

つしまみれサイン入り「花まみれ2016」ポスター!みんな応募してね!
Twitterでハッシュタグ「#花まみれ」を付けて応募しよう!
ご応募は3/22(火)15:00まで!
<応募手順>
(1)TwitterのDI:GA onlineアカウントをフォロー!
フォローはこちらから→@diga_online
(2)ハッシュタグ「#花まみれ」を付けて、今回のワンマンへの期待コメントを投稿してください!
(3)抽選の上、当選者には3/22(火)にtwitterのDMにてプレゼントのお渡し方法を含めたご案内メールを差し上げます。

現在、「花まみれ 2016」に向けて応援スタッフのみんなが フライヤーとポスターの配布を手伝ってくれています。
3月25日(金)代官山UNIT、みんな遊びに来てねー!
髙橋大輔の初舞台、『LOVE ON THE FLOOR』の演出家が語るオファー理由
現役を引退後も絶大な人気を誇るフィギュアスケーター、髙橋大輔が初めて氷上ではなく、舞台上でパフォーマンスを披露する。初舞台となるダンスショー『LOVE ON THE FLOOR』で演出・主演を務めるのは、米国の人気プロダンサー、シェリル・バーク。スターが社交ダンス勝負を行うリアリティ番組「Dancing with the Stars」で、指導者として多くのダンス未経験者を優勝に導いてきた彼女のもと、髙橋やクリスティ・ヤマグチら世界のトップスケーターが集結する。6年も前から構想を温めていたというシェリルが語る、本公演のビジョン、そして髙橋に出演をオファーした理由とは──。
フィギュアとダンスの共通点
──本公演のコンセプトは、6年も前に生まれたものだそうですね。
そうなんです。私は4歳からバレエを、11歳から社交ダンスを習ってきて、31歳になる今までずっと、ダンスを通じて自分を表現してきました。つまり私にとって、ダンスは人生そのもの。ダンスショーというと、ダンサーの技術や一つひとつのナンバーをフィーチャーしたものが多いけれど、私は全体を通してひとつのストーリーを伝えるような舞台が創りたい、とずっと思っていました。そのストーリーのテーマを、世界中の人々にとって普遍的な感情である“LOVE”にしよう、と決めたのが2010年のこと。それから今まで、自分自身さまざまな愛を経験しながら構想を温めてきました。それが今回、こうして日本で花開くことになって、信じられないぐらい興奮しています(笑)。

シェリル・バーク
──フィギュアスケーターをキャスティングする、という発想はどこから?
今回出演してくれる4人のスケーターのうち、オリンピック金メダリストでもあるクリスティ・ヤマグチとメリル・デイヴィスは、ともに「Dancing with the Stars」の優勝経験者。メリルとアイスダンスでペアを組んでいるチャーリー・ホワイトも、2014年に5位に輝いています。番組を通じて彼らと知り合い、フィギュアスケートとダンスには多くの共通点があることに気づいて、ぜひ一緒にやりたいと思うようになったんです。もちろん技術的には、ふたつは全く別のもの。私にスケート靴をはかせてもただ転ぶだけですが(笑)、音楽性や優雅さ、そして情熱が大事である点は同じだと思っています。
──でも番組では、シェリルさんはクリスティさんやメリルさんを指導していたわけではなく、言ってみればライバル関係でしたよね…?
そうですね、間接的にではありますが競い合っていました(笑)。クリスティが優勝した時、私が指導していたスターは確か3位で、メリルの時は…ひどい結果だから思い出させないで(笑)。でも当時から、私たちは助け合ってもいたんです。みんな同じスタジオでリハーサルをしていましたから、クリスティやメリルからアドバイスを求められることがよくありましたし、私もいつでも応じていました。彼女たちは私にとって、子どもの頃から憧れていたスターでもありましたから。
──なるほど。では、髙橋大輔さんが参戦されることになった経緯は?
私がずっと彼のファンだったの(笑)。氷上であれだけ素敵なタンゴを踊っていた彼ならきっと、フロアの上でもどんな感情だって表現できるはずだから、ぜひこのショーに出てほしいと思いました。自分が今までやってきたこととは離れた分野での挑戦になるにもかかわらず、オファーを承諾してくれた彼には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。パフォーマーとして素晴らしいだけでなく、自分の限界を押し広げていこうとするところもまた、彼の大きな魅力ですね。彼には今回のメインキャストのひとりなので、新しい彼の姿を皆さんに観てもらえることを、私自身とても楽しみにしています。
アギレラの振付師も参戦
──髙橋大輔さんとは、既にお話をされたのですか?
ええ、とても素敵な方でしたよ! 彼にとっては新しい挑戦ですから、やはり不安もあるようで、今から準備できることがないか彼のほうから聞いてきてくれました。でも私が伝えたのは、ヨガかピラティスにでも通って体を柔らかくしておいて、ということだけ(笑)。ダンスについては、この作品の振付を通じて学んでいってもらえればいいと思っています。ほかの指導者から習った人に教えるのは、かえって難しくなることがありますから。

高橋大輔
──その振付というのはやはり、社交ダンスが中心?
いいえ、そうではないんです。既に出演が決まっているスケーターのほかに、これからオーディションで出演者を決める予定なんですが、社交ダンサーを採用するつもりはありません。コンテンポラリーやジャズなど、いろいろなジャンルのダンサーを集めた上で、皆それぞれが新しいスタイルにも挑戦するようなショーにしたい。振付は、クリスティーナ・アギレラのツアーなどで国際的に活躍している、ジェリー・スロッターとポール・モレンテが手掛けます。私がアメリカでショーをやった時に監修をしてくれたふたりなんですが、出演者一人ひとりをきちんとリスペクトしてくれる人たちですし、経験も豊かなので適任だと思って、公演の実現が決まってすぐに彼らに依頼しました。
──おふたりとは、どのようなコラボレーションになりそうですか?
『LOVE ON THE FLOOR』は、喜び、悲しみ、怒り、不貞…ダンスを通じて、男女間・家族間・友人間のさまざまな愛の形を描く舞台です。単なる振付ショーにはしたくないので、まずは私がストーリーを創って、それを彼らと一緒に振付の形にしていくつもり。その作業は、全ての出演者が決まってからになると思います。一人ひとりに輝いてほしいから、例えば「怒りを感じたり見せたりはしたくない」というメンバーに、そうしたシーンを押しつけるようなことはしたくないんです。キャストが固まり次第、LAでリハーサルに入るので、できれば大輔にも早めに合流してもらいたいですね。
──音楽や衣装については、どんなプランをお持ちなのでしょうか。
何しろ6年前から考えているから、私の頭の中には完璧なビジョンがあるんだけど…観て確かめてほしいから、具体的なことはあんまり言いたくないんですよね(笑)。でもそうですね、音楽に関して言えば、観ている皆さんが自分と関連付けることができるよう、誰もが一度は耳にしたことのある曲を使う予定です。日本の皆さんの好みが知りたくて、実は大輔にも好きな音楽について質問したんですよ。「何でも好き」って言われちゃったので、あまり参考にならなかったんですが(笑)。衣装はストーリーを際立たせるためのものなので、よくある社交ダンスのショーのように、ラインストーンとラメばかりということにはなりません(笑)。全体として、観ていて心地よい舞台にしたいと思っています。
──では最後に、日本の観客にメッセージをお願いします。
私が長年温めてきたショーを、ここ日本で初演できることを本当に光栄に思っています。今後、例えばほかの国で上演することができた時にも、始まりがここ東京だったことは絶対に忘れません。日本は既に、私の心の中の特別な位置を占めていて、まずは日本の皆さんに喜んでいただきたいという思いで今も取り組んでいます。足を運んでいただければ、きっと「また観たい」という気持ちで帰っていただけることと思いますので、ぜひ観にいらしてください。
シェリル・バーク、髙橋大輔よりコメント到着
BORNの8年間の軌跡が詰まったベストアルバムリリース!ラストライヴへ向けて大切な想いを語る!
5月26日Zepp DiverCityにて開催されるBORN 8th ANNIVERSARY SPECIAL ONEMAN LIVE「SUPER BLACK MARKET」を以て解散を発表したBORN。8年間の軌跡が詰まったベストアルバム『Independence BLACK』を3月9日にリリース!ベストアルバムを完成させて改めて思うこと、そしてラストライヴを迎える心境と意気込みを聞いた。
──ベストアルバム『Independence BLACK』はどんな作品になりましたか?
猟牙(Vo) ライヴでは外せない曲ってあって。そういうBORNのライヴを基軸に、その時代、時代でBORNを象徴する曲を選ぶようにはしました。
TOMO(Dr) 自分自身とバンドの成長を感じつつ、曲を作った当時のことを思い出したりもしましたね。
Ray(Gt) 結局やっぱBORNの曲はいいな!って思いました(笑)。自信作ですね。そんなBORNの曲たちを好きになってくれたファンの子と、いろんな時間を共有できたことに改めて感謝してます。
K(Gt) こう曲順通りに聴いていくと、どんどん音が良くなってるしスキルも上がってるんだけど、楽器を持って“これでやっていこう!”と思った、軸となるマインドの部分は変わってないんだなって再確認しました。
猟牙 俺も初期の頃のがむしゃらな自分の歌に対する姿勢って結構好きだなって。過去にしかできなかったこと、今にしかできないこと、それらの混在の仕方が面白いなって思いますね。
──1枚にBORNの歴史が詰まっているわけですね。5月26日にはZepp DiverCityでラストライヴを迎えますが、どんな気持ちで臨もうと思っていますか?
TOMO やっぱりBORNってすごいカッコいいバンドだと思うんですね。そういうバンドがこのヴィジュアル系シーンにいたんだっていうことを歴史に刻みたいなと思ってます。
Ray ラストライヴまでのこの数ヶ月をファンの子と一緒に悔いなく過ごして、ファンの子の中でいい思い出として残ったらいいなって。ラストライヴもお互いにハッピーに終えて、笑顔で帰ってもらえたらうれしいですね。
K この激しく棘のある音楽の中で楽しさがある、そういうライヴってあんまり観たことがないかなって思うんですよ。まだBORNを観たことがないっていう人も、是非ぶっ壊れに来てほしいですね。
猟牙 解散発表した後、バンド仲間からも連絡があって、“マジかよ!? もったいなっ!”みたいな。流行り廃りが多い中で“もったいない”と言ってもらえるのって、別に謙遜するわけではなく、BORNはまだこのシーンにおいて価値を放っているのかなって。自分らが思っている以上にBORNは愛されてて、カッコ良かったのかなって思いましたね。まだまだ俺らはカッコいいんだっていうことを再確認させられたんで、ラストのZepp DiverCityまで成長していきたいですよね。
──ただ集大成を観せるのではなく、これまで同様、挑戦し続けたいと。
猟牙 そうですね。ライヴは命かけてやってきたから、そこはZepp DiverCityも変わらなくて。この先、メンバーそれぞれ別の道になるわけですけど、ラストライヴでさらに一歩、成長するためのものにもしたいと思うし。最後の瞬間までずっと挑戦していたいですね。
インタビュー/牧野りえ