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斉藤和義、「演奏のさじ加減が絶妙」と語るバンドメンバーと、史上最長ツアーを敢行中!

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斉藤和義

昨年11月下旬から始まった、全67本、約半年に渡るツアー“風の果てまで”で、日本各地で夜毎熱いライブを繰り広げている斉藤和義。ツアーはそろそろ折り返し、後半戦に突入する。5月21日、22日に行われる日本武道館公演は、最終日目前の60本目と61本目。どんなステージを見せてくれることだろう。

──ツアーが始まってそろそろほぼ3ヶ月。どんなふうに進んでいますか。

順調ですよ。曲も演奏も身体に染み込んできているので、難しいことは考えずにあとは音に身を委ねるだけ、という状態になってきていますね。毎回、ライブが進化しているのを感じています。

──斉藤さん史上最長のツアーでもある今回、いくつか波乱も起きているとか。

1月24日の山口県防府市での公演が大雪で延期になったり、その約1週間後にはキーボードのメンバーが病気で入院しちゃって、ピンチヒッターで2人、入ってもらうことになったりしていますね。長いツアーは何度もやってきたけど、今まで一度も経験してこなかったことが続いて、「なるほど、無事にツアーが進んで行くこと自体がとっても稀なことだったのかもね」って思ったりします。

──公演延期は斉藤さん的にかなりのダメージだったと聞きましたよ。

残念だとか申し訳ないとかいろんな気持ちがありましたけど、「連続出場記録が絶たれた!」みたいな感じもあって、それに結構凹みました、“なんだよ”って(笑)。天気のことだから、しょうがないことなんですけどね。自分の不注意で病気になって公演を延期にするようなことは絶対にしちゃいけないって、改めて肝に命じました。

──でも波乱のたびに、演奏がパワーアップしてるとも聞いています。今回のツアーからメンバーもほぼ一新。新しいメンバーとのライブはどうですか。

演奏している人たちがこれまでとは違うから、鳴っている音が違うのはもちろんなんだけど、ステージ上の気配も全然違っていて。それがおもしろいですね(笑)。前のメンバーはあまり動かない人が多かったんですよ。だけど今回はジャンプしてる人がいたり、髪を振り乱している人がいたり、結構アクションが激しいんですよ。俺は正面を向いているから本番中はあんまりわからないんだけど、ライブのあとに映像を見て、みんな、こんなに動いていたのかって(笑)。それが、すごい新鮮です。多分、ステージでは俺が一番おとなしいと思う。

──何度か今回のライブを拝見しましたが、いろんな意味で個性的なメンバーですよね。

バンドとしてまとまっているし、個人としても際立ってる感じはしますね。俺のような“ソロ・アーティスト”と呼ばれる人間のバックをやる場合、みんな、CDの演奏をどこまで忠実に再現するのかとか、どこまで自分の個性を出していいのかというのを考えると思うんだけど、今回の4人はその辺のさじ加減がすごく絶妙なんですよ。

斉藤和義
──なるほど。

みんな、当日のリハーサルでは普通に演奏してるのに、本番になると、押さえるべきところは押さえつつもいきなりそれぞれの個性を出してきたり、違うアプローチをしてくる。演奏してて“今日はそうきたか!”って(笑)。新鮮だし、おもしろいですよ。俺も「どんどん自由にやって欲しい」と言っているし、みんな楽しみながら好きにやってくれている感じがいいなあと思っていますね。とくにジャムっぽくやっている曲なんかは、本当に日々、“その日のバージョン”が生まれている感じがするから、演奏していて楽しいですね。

──その“今、ここで互いに刺激しあっているからこその演奏”が聞けるのが、今回のツアーに限らず、斉藤さんのライブの醍醐味、という気がしています。

“予定調和”でないことは確かでしょうね。その方が、見ている方もやっている方もおもしろいと思うし。

──5月21日、22日には二日間の日本武道館公演があります。

武道館でライブができるのは、やっぱり嬉しいですよね。すごく楽しみだし。去年の12月にデビューの頃に同じ事務所だったフラワーカンパニーズの「フラカンの日本武道館〜生きててよかった、そんな夜はココだ!〜」を観に行ったんですよ。ライブ自体もすごくよかったんだけど、客席から武道館のステージを見たのがすごく久しぶりで、それも印象に残ってますね。

──ちなみに前回はどなたのライブだったんですか。

矢沢の永ちゃんかな。確か2、3年前だったと思う。5000円のタオルを買って、みんなと一緒に放り投げたりもしましたよ。綿ぼこりがすごかった(笑)

──(笑)

で、フラカンのステージを見ながら、“そうか、客席からはこう見えているのか、やっぱりいいなあ”と思いましたね。

──どんなところがいいなあ、と?

かっこいいんですよ。ステージから客席を見てもかっこいいんだけど、客席からステージを見てもかっこいい。武道館って、すり鉢っぽい形をしてて、ぐるりと客席があるから、どの席からも他の階のお客さんが見えるし、お客さんの気配がよくわかるんですよね。

斉藤和義
──確かにそうですね。

ステージからお客さんの姿が見えるのは当たり前だけど、お客さん側からもお客さん全員の姿が見えるっていうのが、武道館の特徴なんだなって再認識したし、そういう景色だからこそお客さんの一体感もより生まれやすいんだろうな、と思った。唯一無二の会場ですよね。

──それでますます武道館でのライブが楽しみになったわけですね。

武道館のステージにはビートルズをはじめいろんな人が立っているし、渋谷のエッグマンでやっていたデビューの頃も、当時のスタッフには「武道館でやってるつもりでやらなきゃダメだ」と言われていたし、自分でも「いつかは武道館に」って思っていましたからね。やっぱり格別です。

──1999年3月以来、これまでご自身のライブでは武道館のステージに7回立たれていますけど、武道館だといつもと違う力が出たりするようなことはあるんですか。

いや、どうだろう…。武道館に限らず、東京のライブってお客さんの気配が一番読めないんですよね。

──そういうものなんですか!?いつもすごく盛り上がってるような気がしてたけど。

ツアーによっては、東京が一番盛り上がることもあるけど、一番おとなしい時もあるんですよ。大阪とか名古屋とか、何度もライブをやっているところはもちろん、ここはこんな雰囲気だよなってわかってきてるところが多いんですけど、東京だけは毎回、ステージに出て行って初めて、ああ、今日はこんな感じなのかって。地方は、ほとんどの人がその県の人だから、その地方ならではの特徴を感じられるんだと思うけど、東京のライブには、生粋の東京人だけが来るわけじゃない。それが大きいのかもね。

──確かに東京には日本各地から人が集まっているし、地方から駆けつけるお客さんも多いですよね。会場が武道館となると特に。

そういう意味では、やっぱり武道館は、今回のツアーのひとつの大きな見どころになるんだろうなと思います。

──5月は名古屋国際会議場センチュリーホール2デイズ、大阪城ホール2デイズと大きな会場が続きます。武道館はその最後。どんなステージになりそうですか。

そうですね。それまでにバンドの演奏がどうなっているか、今の時点ではまだ全然予想がつかないけど、メンバー同士の遠慮はこれから、いい意味でどんどんなくなっていくだろうし、もっとメンバーが自由になっていくと思うんですよ。演奏は間違いなく進化していくだろうし、かなりいいステージになると思います。楽しみにしていてください。

斉藤和義

インタビュー/木村由理江

photo/佐々木コウ


MONKEY MAJIK、アルバム制作もインタビューもリラックス・ムード。4人の和やかな掛け合いをぜひ。

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MONKEY MAJIK
──アルバム『southview』のジャケット写真。これ場所どこですか。

Blaise(Vo&Gt) それはニュージーランド。ずっと泊まってたところ。

DICK(Ba) 泊まってた家のプール。

──ああ、これがプールで、向こうがオーシャンビュー。いいですね〜。

DICK 横に、バーベキューするところがある。その奥に、TAXがいつも座って歌詞を書いてた場所がある。

TAX(Dr) 最高の場所でしたよ。詳しくはDVDで(笑)

──特典映像のドキュメンタリー。でも前のギリシャの時(『westview』)もそうでしたけど、あんまり人の行かない、でも素敵なところに行きますね。ニュージーランドでレコーディングって、聞いたことないけれど。

TAX でも、うちらが行ったあと、ギリシャの経済がはちゃめちゃになったから。ニュージーランドは大丈夫かな(笑)

DICK ギリシャは、行った時にはもうはちゃめちゃだったよ(笑)

──嫌なジンクスが(笑)。それはさておき、かっこいいアルバムです。すごくいい。オールディーズなソウル、ディスコ感と、現代的なポップ・センスが、きれいに溶け合っていて。もともとそういう音楽は好きだから、たぶんずっとやりたかったんだろうなと思うんですけどね、丸ごと1枚それにしたというのは、ちょっと驚きましたけど。

Maynard(Vo&Gt) そうそう。実際、やってるからね。ただ1枚にしたのは初めて。楽しくやってみました。

Blaise 楽しいね。すっきりした。もともとのコンセプトで、素敵な場所で、フレッシュなものを作ろうと。この“view”シリーズは、毎回楽しいからね。楽しくリラックスしながら、いろんなコンセプトを考えて、自分のペースで、最高のアルバムになりましたね。

TAX 作品を作って、みんなに聴いてもらって、ライブをやって、そこまでが醍醐味なんで。早くたくさんの人に聴いてもらって、ライブ会場で一緒に盛り上がりたいなと。

Blaise 次のチャレンジは、曲を全部覚えなきゃいけない(笑)

──今までよりも、打ち込みは多いですか。そんなふうに聴こえますけど。

TAX いや、でもね、普通に叩いてる曲もあるし。バスドラをサンプリングして、かぶせてみたりとか。曲が一番リッチになるのはどうしたらいいか?ということで、試行錯誤しながら、楽しみながら。スタジオで、いい楽器も借りれたんで。

──ニール・フィンのスタジオ。クラウデッド・ハウスやスプリット・エンズで活躍した。スタジオの機材はけっこう揃っている?

Maynard ハンパない。

DICK 最新の機材ではないけどね。

Maynard ヴィンテージ。本人が80年代から集めて、自分で使っていた楽器ですね。そういう趣味も良かったかなと思った。15年間少しずつ集めて、やれば良かったかなって。でもめんどくさい(笑)

DICK 壊れるしね。

Maynard スタッフが、世界に一本しかないというギターを出してきて。何千万もするのかなと思ってたら、いきなりボン!ってぶつけて。“ニールに言わないでね”って(笑)

Blaise でも映像、撮ってたね(笑)

──ニール・フィンには絶対に見せられない(笑)。DICKさん、レコーディングは?

DICK 真面目にやってましたよ。予想を上回る真面目さで、最初の一週間、飲みに行かなかったからね。真面目にやってました。詳しくはDVDで(笑)

──今回、ベース、むちゃくちゃかっこいい。こういうダンスミュージックのアプローチで、ベースのグルーヴは肝じゃないですか。

Blaise すごく出てるね。

──DICKさん、もともとソウルやファンクのバンドをやってたから。こういう音はお手の物というか。

DICK そういう曲もあるし、そうじゃない曲もある。ソウルのような感じで弾ける曲もあるんだけど、たとえば「Splash」という曲は、似てるようで全然違うから。俺の引き出しにない、というものもあるし。ダンス系といえば、ひとくくりなのかもしれないけど。

──この間グラミー賞をとったマーク・ロンソンとか、少し前のダフト・パンクとか。ちょっと懐かしい感じのソウルやファンク系の音楽が、ちょうど流行っていることもあって。

TAX どんぴしゃですね。大好き。

DICK 昔のディスコみたいなのが、みんな好きなんだなって感じた瞬間が、ニュージーランドであったんだけど。クラブに飲みに行ったら、生でディスコ・クラシックみたいなのを演奏していて、ものすごい盛り上がってた。バンドもすごくうまくて。

Blaise ザ・ヒッツ。超最高でしたよ。

DICK 最終的に、俺たちは外に出されたというオチがつくんだけど。

TAX はしゃぎすぎて怒られた(笑)

──来てますね、そういう音。今の時代に合ってる。

Maynard 大好き。やっと時代が……逆か。

TAX 何様だよ(笑)

──あはは。時代が俺たちに追いついてきた(笑)

Maynard でもね、今日もそんな話をしてたんだけど。十何年で一回りというか、フル・サークルが来るんですね。自分が好きな趣味とか、15年間ちょこちょことやってきたことを、全部一つのアルバムにしようと。だから、時代だと思うんだけど。長くやって、そういう波がたまに来るというか、時代と気持ちが合うというのは、なかなか無理じゃないですか。ファッションが仕事の人はできるだろうけど、普通の人は、そんなにずっと回転できないから。でも最近、本当に世の中の音楽も大好きだし、特に洋楽はめっちゃかっこいい時代に来てる。売れてるアーティストで、嫌いなアーティストは少ない。だから楽しい。

──ほかにレコーディング・エピソードは?DVDに入ってない話をぜひ。

TAX なんだろう?あ、フーズボール。あれをずっとやってて、めっちゃうまくなりましたね。

──サッカーゲーム。スタジオに置いてあった?

TAX そうそう。みんな本気だから。YouTubeでいろいろ技を調べて、スネークショットの打ち方とか。

Maynard 70年代に、ワールド・チャンピオンは何億円も稼いでた。それぐらい、ビッグ・スポーツだったんですよ。80年代にピンボール・レボリューションが来て、フーズボールが消えたんですよ。で、90年代に僕が大学に行ってた時に、また流行り始めて。今も普通にプロがいるんですよ。僕、ずっとやってたんだけど、「テニスの王子様」みたいな、わけのわからないショットがあるの。そんなのできるの?っていうショットを、練習したらできるようになって。

DICK キャプテン翼。

TAX 奥が深いんだよね、シンプルだから。みんなちょっとずつ、差が縮まってきて。最初はMaynardがダントツにうまいから……。

Maynard 余裕で勝ってたんだけど。最後は、けっこうみんなうまくなって、困った(笑)

TAX 何でも真剣にやることが大事。

──まとめましたね(笑)。音楽と全然関係ないけれど(笑)

TAX レコーディング・エピソードって言ったじゃない(笑)

DICK あそこにあったドラムがすごくいい音だったとか、そういうことを言ってほしかったんじゃないの?

──そうです(笑)

TAX めっちゃいい音でしたよ。ラディックとグレッチのヴィンテージ。あんまりヴィンテージ機材に興味なくて、今の技術のほうがいいじゃんと思ってたの。でも叩いてみたら、その考え方がくつがえったね。ほしい!と思っちゃった。やっぱりすごい説得力あるわ、って。ちゃんとメンテナンスしてきたヴィンテージは、本当にいいんだなって。それも、最初の状態が良くないと、そうはならないから。

DICK そうだろうね。

Maynard 熟女好きになったってこと?

──そこ?(笑)

Maynard あれ?女性の話じゃなくて?

TAX 俺、どっちの話してたっけ(笑)

Blaise 一番良かったのは、ジャケットの、この景色。この写真の右側に、プライベート・ジムがあって、そこで毎日運動できるのが、すごく最高だった。ヘルシーなことしか考えない。音楽を作る前にリフレッシュして、レコーディングして。それで夜、ビールを飲んでワインを飲んで、また明日頑張ろうって。ペースがすごくよかった。自分のペースでいいものができたのが、一番楽しかったかもしれない。レクリエーションと、クリエーション。

──うまい!

Blaise ありがとう。アーティストですからね(笑)

──そして、最高のアルバムを引っ提げて、ツアーが4月からスタート。20か所22公演。どんなツアーにしますか。

Maynard せっかく、新しいアルバムを出したばっかりなので。なるべく新曲をやりたいなと。今まで行ったことないようなところも、行ける場所が何か所かあるから。それも楽しみ。

DICK 金沢とか、初めてだよね。

Maynard そういう場所で、新たな経験を。あとは、自転車ですね。時期的に、いい季節なので。

DICK MaynardとTAXは、全部自転車で行くって言ってる。

Maynard 四国に行く、しまなみ海道。自転車だけの道なんですよ。

TAX 自転車ごと行けるホテルとかもあって。

Maynard そこがメイン・アトラクションで、あとはどこまで走れるか。

──DICKさんはツアーの何を楽しみに。

DICK 新曲をなるべくやろうとして、準備を始めたんだけど。大変そうだなと思ってたんだけど、なんか、できそうな感じがする。一番楽しみにしてるのが、「Delicious」の時に、来てくれたお客さんがみんな、レオタードを着て踊ってくれること(笑)。それをステージから見たい。

──ちゃんとミュージックビデオを見て予習して(笑)。でも本当に、今までで一番躍動的な、楽しいツアーになる予感がぷんぷんしてます。

Blaise お客さんが動いたら、すごく楽しいね。この前練習したら、今までにやったことのないことが多すぎて、ちょっと心配だったけど。うまくいきそうだから、すごい楽しみにしてます。ただいつもの曲を歌うだけじゃなくて、新しいチャレンジがある。考え方が変わったので、みんなが喜ぶといいな。

──そしてBlaiseは、年男。申年ですよ。

Blaise 今年はモンキーの年。僕の年です!いい年になりそう。

インタビュー/宮本英夫

米倉 利紀流「大人のための人生をhappyに生きるためのヒント」前編は最新アルバム『switch』について、ライブについて語る!

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米倉 利紀

日本が誇るラグジュアリーなファルセットボイスを持つR&Bシンガー、米倉 利紀。そんな米倉さんに現在発売中の最新オリジナル・アルバム『switch』を通して、米倉さん流の「大人のための人生をhappyに生きるためのヒント」を教えてもらった。人生の分岐点にいる人は必見ですよ!!

インタビュー/東條祥恵

──まずは、発売中のニュー・アルバム『switch』を作った経緯から教えて頂けますか?

断捨離をテーマに前作『streamline』というアルバムを作り、カバーアルバム『うたびと』を作った後の今作になるのですが。アーティストによってはカバーアルバムは企画ものだという方もいらっしゃいます。僕も初めはそういう気持ちだったんです。でも、『うたびと』のジャケットのコンセプトを考えているとき、オリジナルとカバーには果たして違いは必要か?と思い始め。『うたびと』は古くからの友人であるレスリー・キーに撮影してもらったんです、僕のことをよく知っているレスリーだからこその僕、米倉 利紀のパーソナルな部分を引っ張り出してもらえた気がしたんですね。それまでジャケット撮影というとどこか構えてたところがあったんですが、それとはまったく違う角度から彼が撮影してくれて。完成した作品を見ても、いままでにない表情をしているなと自分でも思えたんです。そんなこともあり、企画物とかオリジナルというような境目が自分のなかでなくなって。以前から知り合いだったレスリーとこのタイミングでやっと仕事ができたこともそうですが、人生の分岐点って、どんなタイミングでどこで出くわすか分からないし、どこで見つけるかも分からないけど、必ず大事なタイミングでやってくというのを『うたびと』を作ってるときに改めて強く感じたなかでの『switch』の完成なんです。

──それで、人生の分岐点を『switch』 というタイトルで表した訳ですね。人生の分岐点に立つ“大人たち”にとてもポジティブなエールを送ってくれる作品だなと感じましたが。

ありがとうございます。僕なりにこれまでいろんな経験をしてきて、そしてこれからも今まで以上の経験をしたいなという思いで完成したアルバムです。常に新しくありたいし、進化し続けたいんです。ただ、どう頑張っても退化していく部分はある。

──体とかそうですよね。

でも、心の年齢はもっとプラスに考えてもいいんじゃないかと思うんです。

──それはどういうことですか?

年齢を重ねていくといろんな経験をしているからこそ、明確に見定められたり、見極められたり、見つけられたりするスピードが上がっていって当然だと思うんです。体的には“よっこいしょ”かもしれないけど(笑)、心的には“これはこうだからこうなんだよ”と説教くさいだけではただのうるさいおじさんなんですけど、“そっか。自分のときはこうだったけどいまの時代だとどうなるんだろう”という柔軟な心を余裕で持ち合わせていたいなと思っています。

──日本は外見ばかりのアンチエイジングを気にしてて、米倉さんのように心のアンチエイジングをこうして分かりやすく提唱している人ってあまりいない気がします。

僕自身、アメリカでの生活があることも大きいと思うんです。特にニューヨークに住む彼らがどうやって素敵に年齢を重ねているかというと。例えば、彼らはね、「リタイアすることが楽しみでしょうがない」っていうんですよ。

──えぇーー!!

日本にはあまりないでしょ?

──ええ。聞いたことないですね。

人としてリタイア後にどう生きていくかという夢が彼らには明確にあるんですよ。だから僕、よく彼らからいわれています。「歌いつ辞めるの?一生こうして働き続けるつもり?」って。日本だけにいたら声が出なくなるまで歌い続けることが歌い手としての人生で、それが美しい人生と思ってたかもしれない。もちろんアメリカにもそういう価値観はあるし、一生歌い続けてたシンガーの方はたくさんいらっしゃいます。だけど、その前に“人としてどんな人生を生きているのか”というのが、僕は大事なことなんだと分かったんです。

──まずは自分が人生をどう生きたか。それがあってこその歌であり曲であり、仕事である、と。

だと思います。19歳でデビューして、20代、30代でははもっと売れてる予定だったんです。自分のプランでは(微笑)。それで40代は余裕で音楽作ってる人生設計だったんですよ。でも、そんな人生簡単にいく訳がない。いまだって50代、60代のプランはありますけど、簡単にいくとは思ってないです。だけど「どうせプラン立てても上手くいくはずがない」という生き方もしたくない。やはり、大きな夢と目標があるから人は輝いていられると思いますから。そこで目標が達成できなかったときにどうするか。その“蓄え”や“引き出し”を作っておくのが人生であり、大事だと思うんです。人生で躓いたとき、以前はこういう風に処理してた、あのとき周りの人はこうしてたな、でも自分だったらこうするなという引き出しという経験をいくつ心に持っているかで、人生の有意義さが違ってくると思っています。だから、多少のことで躓いてもパニクらないで冷静でいられる自分がいるんです。

──すごい!それが、大人のリスク回避も含めた夢の描き方ですね。

作り終えたいまだから言えるのかもしれないですけど、今作は今の僕、40代だからこそ歌えることを詰め込めたなと思っています。30代の人生は勢いがあって、人生を説くにはまだ早い。僕は40代ですが、50代から見ると40代で人生を説くなんて、まだまだ甘いよと言われるでしょう。40代ってぶっちゃけた話、ものすごく中途半端な世代なんですよね(微笑)。でも、中途半端だからこそ人生あがけるところがあって、自問自答できることがあって、自業自得だなと思うこともあって。だからこそ出てくる勢いと、後退しないように踏ん張る力が出るんだと思います。

──それをリアルに描いたのが、アルバムの中の「words」ではないですか?

そうです。この曲はものすごく孤独な1曲で、僕にしては珍しく深夜に歌詞を書いたんです。いまの自分、何やってるんだろうって自問自答しながら。恋愛も仕事も含めて、楽しいことだらけではない。だけど、充実してるなと思ったんです。

──楽しいことだらけではないのに?

ええ。それがこの曲のエネルギーになってるんだと思います。しんどくても辛くても充実させることってできるんだなと。苦しくても充実してるんです。

──それは……人生をちゃんと冷静に受け止めながら生きているから?

だと思います。分かりやすくいうと、家の玄関を出た第一歩から「今日はこの靴を履いて出た、履き心地はこんなだったな」ということを再確認しながら一歩ずつ生きられているということ。例えば嫌なことがあったときも「嫌だ」で終わったら充実はしないんです。「なんで嫌なんだろう」と “考えられる心”があると充実した毎日になる。それに感謝した曲でもあります。

──日々、考えられる心でいるためにも、この歌にあるように“冷静”でいなければいけない、と。

そうですね。30代の頃から僕はインタビューやライブのMCで“諦めることは悪いことではない”と言い続けてきました。いろんな出来事を明らかに見極めながら冷静に次の一歩を進む。諦めるってそういうことだと思うんです。だけど、30代はまだ何かと勢いがある年齢、そこまで冷静にはなれなかった。だから言い争うことも多かたったし、喜ぶときも嬉しいときも明日のことなんて考えないでとことん楽しんでた。だけど40代に入り、少しずつ冷静になるということがどういうことなのか、本当の意味で心が理解してきた気がしてます。

米倉 利紀

「sTYle72 cafe volume.five -うたびとspecial」より
PHOTO BY LISA KOZAI

──本作の裏テーマ、アルバムの軸にはいま話していただいた“冷静”というワードがある気がしますね。

ラジオでは「交差点」などをアルバムのリード曲としてかけていますが、実は僕の中の心臓部にある曲は「words」ですから。この気持ち、このエネルギーがあったからこそでき上がったアルバムだと思ってます。でも、かといってアルバム制作がこの曲から始まった訳ではないんです(微笑)。

──えっ、そうなんですか?

人生と同じで、最初から分かっているのか、最後に分かるのか、途中に分かるのか。確信はどのタイミングで現れるか分からない。「words」はそれでいうと3つ目。アルバム制作の途中で書きました。そっか、これがアルバムのテーマなんだとそこで気づき、そこから残りの曲を書いて。最後に書いたのが「交差点」です。充実した日々を感じられている僕は、これをどこに感謝しなきゃいけないんだろうと考えたとき、自分が出てきた『場所』でした。僕の両親や家族は大阪にいるので年に3~4回しか会えないんですよ。そう考えると、僕の残りの人生、両親の残りの人生のなかであと何回会えるんだろうと思ったらすごく寂しくなったんです。こうして親のことを考えるようになったってことは、次のステージが近づいてきてるんだなと思いました。だから、感謝できて嬉しくもあり、悲しくもありという感覚でしたね。

──米倉さんの作るアルバムは、こうして常に米倉さんの人生と密着して存在している。そこが魅力的なんですよね。どこまでも上質でラグジュアリーな声とサウンドに包まれながらも、歌詞には米倉さんのリアルな人生観が描かれている。そのギャップが素敵だなといつも感じるんですよ。

僕もそうありたいと思っています。やっぱり夢を見てもらいですから、ファンの皆さんには。だけど、現実を知らないと夢なんて見られないじゃないですか。現実を知っているから、夢を見られるんだと思いますから。いま言っていただいた音とか僕の声でみなさんに“うわ~”って思って頂くだけで僕は最高に幸せなんです。そして、さらに、いまおっしゃって頂いたように歌詞を読むと、人生ってそんなに簡単じゃないなってご自身の人生に置き換えて人生課題を見つけてくださることを僕は目指しています。夢と現実のバランスがあるから、音楽って楽しいんじゃないかな。例えば、今作でいうと「HIPSTER」。歌詞も茶柱がどうとか、ハッピーアイスクリームだとか、どうでもいいようなことしか書いてない。でも、そういうなに気ない日常を僕らは生きている。

──ああ~、こっちはそういう現実を描いた曲なんですね。

ええ。厳しい現実と、どうでもいいようなくだらない現実。そういった現実にちゃんと生きているからこそ夢を見られる。そのバランス、スイッチングを楽しみたいなと思って僕は音楽を続けています。

──スイッチングといえば、米倉さんがライブで「若い頃は見ないで座れた椅子も、手で位置を確認しながら座るようになりました」というようにMCで厳しい現実を見せる後、さらっとラグジュアリーなバラードを歌うのはそういうことなんですね。

ええ。人間は加齢に逆らうことはできない訳ですから。でも、僕たちには夢を見れるとか目標を持てるというものすごく特殊な能力を神様から授かっている訳じゃないですか?

──人間だけの特殊能力を。

ええ。でも、ちゃんと現実も知らなければ夢や目標だけでは生きていけないから、僕は会場に集まってくれるファンの方と年を重ねていく面白さをシェアしたいんです。例えば、僕だって白髪があります。“白髪なんて見られたくない”と必死の白髪染めだとどんどん自分が苦しくなっていっちゃう。でも“白髪は抜いちゃいけないのに抜いちゃうんだよね” “白髪のなかにはまっすぐじゃなくてチリチリのもの、ない?”って笑いにしてしまえば僕も周りも楽しくなる。そうやって現実を楽しんでいくことで、夢とか目標がさらに膨らんでくる。人への妬みや嫉妬もなくなるんですよね。心は強く、繊細に。そのバランスが大事だと思います。

米倉 利紀

「sTYle72 cafe volume.five -うたびとspecial」より
PHOTO BY LISA KOZAI

──今作『switch』をひっさげてのツアーがますます楽しみになってきました。

人生の分岐点を掲げて作った作品なので、歌い手・米倉 利紀がどんな分岐点を通過してきたのかというところで、代表曲とされる曲たちをメドレー仕立てにしたり、久々に歌う曲もたくさんあります。昨年末のカバーツアーとは違ってダンサーも2人いたり、バンドのメンバーも一新。みんな20~30代で、僕一人40代(笑)。若い人といると活性化されるので、そのエネルギ−を循環できたらいいなと思ってます。

明日3/12(土)はインタビュー後編をお届けします。お楽しみに!

Dragon Ash、2つの場所への思いが契機となった、約2年ぶりのワンマンツアー!

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Dragon Ash

インタビュー/フジジュン

──4月より始まる約2年ぶりのワンマンツアーを控えたDragon Ashですが。今日は“ビクターロック祭り”終了後の取材で、2016年の初ライブだったそうですね。

BOTS はい、楽しかったです。大きいところは気持ち良いですね、スッキリしました。

桜井誠 僕らもビクターの古株になってきましたから、ちゃんとやらないとという気持ちもありつつ。3年連続でこのイベントに出させていただいて、イベントへの思い入れも出てきました(笑)。今、ビクターはすごい良いバンドがたくさんいて。所属バンドだけで、大きなフェスが出来ちゃうんじゃないか?くらいのラインナップが揃ってますからね。

──短い時間ではありましたけど、会場に圧倒的な熱量が凝縮していた感がありました。

桜井 ロック祭りですからね。ウチらみたいなバンドが熱を持って、真ん中で祭り囃子をガツンと鳴らしてあげるというところで、役目は果たせたんじゃないか?と思います。

──今日のようなイベントだと、ワンマンの時とはステージに臨む気持ちも違いますか?

HIROKI ワンマンは時間が圧倒的に長いですから、イベントは短い時間を勢いで一気に行くというところでやっぱり違いますね。イベントは短い時間ですけど、気合いが入りまくってるので、疲れはワンマンを2時間やった時とあまり変わらないんです。

Kj 俺はどっちかっていうと、ワンマンより対バンの方が好きですね。ワンマンはあんまり自分からはしたがらないです。みんなで「ツアーしようよ」って話になったらしますけど、自分から言ったことはなくて。やったら楽しいけど、イベント形式の方が楽しいですね。

──一緒にステージに立つ仲間やライバルがいた方が燃えますか?

Kj うん。あと、長くやるのが趣味じゃないというか。どっちかと言ったら、対バンでストロングポイントを出し合う方が好きですね。

BOTS 僕は逆にワンマンの方が好きですね。日本武道館でやった時も、そこに向けてみんなで練ったりする部分も多いので。そういうところにやり甲斐を感じるし、やり込んだからこその達成感もあって。ワンマンの作り込んだ感じ、やり込める感じは好きです。

──ダンサーお二人はいかがですか?

ATSUSHI 僕は短い長いは関係ないです。ワンマンの方が色んな表現があるし、世界観が作りやすいので、その楽しさがありますけど。フェスはより分かりやすく伝えるってことを意識して、それはそれで楽しかったりするし。

DRI-V 僕もどっちも好きですね。今日のようなイベントだと、「初めて見る人をどう取り込んでやろうか?」みたいな気持ちも強いし。ワンマンだと、Dragon Ashを好きで、細かいところまで隅々見てもらえる感があるので。演出に合わせて、どう見せていくかを考えるのは面白いですね。

──なるほど。そして4月から始まるワンマンツアー。今回はリリースツアーというわけでもありませんが、一体どんな経緯で企画されたツアーだったのでしょうか?

桜井 最初、Zepp Fukuokaが閉まっちゃうということで、「最後にやりませんか?」というお話をいただきまして。僕らも思い入れのあるハコだったので、「じゃあ福岡をファイナルにして、ワンマンツアーをやらないか?」という話になって。

──着地点が最初に決まって、そこに繋がる色々が決まったんですね。2年ぶりのワンマンツアーですけど、メンバーの中でそろそろツアーをやりたいという話もあった?

桜井 そうですね。ただ、リリースがあってからツアーをやるのが望ましくはあるので。どうしようか?って話にもなったんですけど、今回はイレギュラーな形でやってみるのも良いんじゃないか? と。そこでもともと、2016年は作品制作も動こうという話があったので、ツアーに合わせて新曲を披露出来ればと。

──ツアーのトピックスとして、“東北ライブハウス大作戦”により建てられた、石巻BLUE RESISTANCEでのライブが予定されていて、これは現在のバンド編成となってから、最も少ないキャパでのライブとなります。

Kj 石巻BLUE RESISTANCEは俺が行きたいって言ったんです。東北ライブハウス大作戦で行ったけど、Dragon Ashではまだ行ってないので。最初、3本くらいのツアーで良いんじゃないか?って言ってたんだけど、いざやるとなったらだんだん本数も増えていって。「だったら、石巻も行きたい」って俺が言って。この大所帯であの狭いライブハウスに行くというのは金銭的に言ったらすごい苦しいんですけど、やることに意味があるし、Dragon Ash史上最大の小箱なので楽しみですね。

──どれくらいのキャパになるんですか?

Kj パンパンで200人いかないくらいですよ。ステージもそのままじゃメンバーが乗り切らないから、ちょっと客席側に出してとかだと思うんですけど、どうしてもDragon Ashで行きたかったんです。石巻Oneparkではやれたので、もっとゼロ距離でやれればって。

ATSUSHI 僕らもちゃんと踊りを見せてとかじゃないと思うし、狭いライブハウスだからこそ伝えられることがあると思うので、熱量が伝えられたら良いなと。

Kj 配線とか、足りるのかな?(笑)

桜井 でも、そういうのを「どうする?」ってみんなで考えながらやることで、新しい発想が出たりするから。それがいいじゃん。

──KenKenさんもBLUE RESISTANCEでのライブは初めてですか?

KenKen 初めてです。僕もOneparkは行きましたけど、石巻はいつも、なんとか元気を与えようとして行くと、元気を与えられて帰って来てしまって。前回よりも倍のパワーで、何か置いてこられれば良いなと思ってます。

──しかし、Zepp Fukuokaの話もそうですが、ライブハウスが減っていくのは悲しいですね。

KenKen バンドの数は増えてるのに、ライブハウスがどんどん減っていて。大箱が無くなっていくと、こういう人数いるバンドが行き場所を失っちゃうから、厳しい時代ですよね。今、時代が移り変わる過渡期だと思うんですけど、だからこそやり続けてる人たちが貫いて、しっかり発言していかなきゃいけないと思っていて。僕がDragon Ashでやり始めて4年くらいですけど、この人たちは続けてきたことのプライドは日本一だと思ってるので。大きいハコだけでなく、小さいハコにも出演して、しっかり盛り上げて。それが出来るのってすごくカッコ良いことだと思うし、結果、それが底上げになれば音楽冥利に尽きるかなと。

──そして新曲の披露もひとつトピックスになってますが、アルバム『THE FACES』から約2年。その間に新曲制作やその原型になるものを作ったりというのはあったんですか?

Kj “新曲を引っ提げてのツアー”って前面に出ちゃってることに驚いてます(笑)。間に合ったら超アチィな!くらいで。

──え、そうだったんですか!?(笑)

Kj でも、言っちゃってるからには、絶対作んないとダメですよね(笑)。前回、これが最後でも良いくらいの気持ちで『THE FACES』を作ったんで、その後すぐに新曲を作る気にはなれなくて。ソロもあったから曲は日々作っているけど。

──やはりソロの曲を作る時とDragon Ashの曲を作る時は、最初から気持ちが違う?

Kj そうですね。でも、それってソロをやる人はみんなそうなんじゃないかな?

──ではソロを経て、Dragon Ashにどんな物を持ち帰れるかも、まだ全然見えない?

Kj 分からないです。エフェクターとかは買いだしてますけど、その程度ですね(笑)。

KenKen 意外ともうすぐだから、作らなきゃいけないんだろうけどね。

桜井 乞うご期待!じゃないですけど、なんとも言えないところなので。楽しみにしてて下さいという感じですね。

──最後にワンマンツアーで楽しみにしてること、意気込みなど聞かせて下さい。

KenKen う~ん、良い演奏をするということしか考えてないかも知れないですね。

桜井 ライブをやる時の心構えはいつもそれだけですよね。ここから演出面を詰めたり、リハに入ったりする中で見えてくることもたくさんあると思うので。ライブやる以上は、来てくれたお客さんにしっかり楽しんでもらえるライブをやるだけですね。

BOTS 演出面に関しても、ちょっと変わったことをやろうって話もこの間出ていたり。いつもワンマンのタイミングで衣装を変えたり、新しい機材を取り入れたり、照明を変えたりという新しいことを取り入れたりはしてるので、Dragon Ash通の人はそんなところにも気付いてもらったり、楽しんでもらって。

KenKen 単純に2年ぶりのツアーというところで、意識せずとも勝手に進化してると思うので。自分たちもそこに気付きながら、楽しんでツアーをやりたいと思っています。

Kj 久々のワンマンだし、Dragon Ashで行ったことのない会場もあるんで、それも楽しみだし、フェスやイベントでは見せ切れない幅を久々に見て欲しいと思うし。自分たちはライブバンドだと思ってるんで、長尺でそれを証明したいと思っています。

米倉 利紀流「大人のための人生をhappyに生きるためのヒント」後編は愛犬たちやボディメイクなど、ライフスタイルについて教えて下さいました。

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米倉 利紀

前回、最新アルバム『switch』とツアーについてお話しを聞いたシンガーの米倉 利紀さん。今回はそんな米倉さんのプライベート、ライフスタイルのお話しを聞くことで、米倉さんのさらなる魅力を探っていきたいと思います。大好きなワンちゃんの話題にボディメイク、目から鱗のアドバイスがたっぷりつまったお話しをどうぞ。

インタビュー/東條祥恵

インタビュー前編はこちら
米倉 利紀インタビュー(前編)

──まずは米倉さんといえばワンちゃんたち。ワンちゃんはお元気ですか?

元気ですよ、あいつら(微笑)。今年の夏で6歳と3歳になりますね。上の子の名前がbacio(バーチォ)。イタリア語でキスという意味で、下の子がfico(フィコ)。ficoはイチヂクという意味もありますが、英語で言う「cool=かっこいい」という意味もあるんです。僕、イチヂクが好きなんですよ(微笑)。それぞれ犬ってこんなに性格が違うものなんだと思うぐらい違うんですが、だけどだんだんと似てくるものなんですよ。

── 一緒にいると?

そう。人間と一緒です。上の子はどんどん僕に似てきてます(微笑)。ヤツが0歳から3歳までびっしり僕と2人だけの生活だったんです。その後に下の子が来ました。だから、上の子と僕は、ある意味一心同体ですよね。僕が出かける準備をしていて探し物が見つからない時“あれどこ行ったかな?”って“あれ?”っていう僕の少し不安な声のトーンや心に敏感に反応します。そういう先住犬がいるなかに下の子は来たので、最初は天真爛漫な子だったんですが、だんだんと上に習うように変化してきました。1頭目をちゃんと躾ていたので、2頭目は1頭目から学ぶんです。だから僕、2頭目はほとんどしつけをしてなくて。1頭目に任せっきりです(微笑)。

──bacio君、偉い。とってもいい子ですね。

例えば、上の子がやってるのをちゃんと見ているんです。ご飯のときは僕から「GO」が出るまで待たなきゃいけないんだということ。今では僕がGOを出すまで絶対にご飯を食べない。そして、下の子は上の子のご飯を絶対にとらないです。上の子の方が食べるのが遅いんで、下の子は食べ終わったらずっと上の子の周りを徘徊、歩いてます。歩いて、立ち止まって、後ろからずっとご飯を見てます(微笑)。

──見てるだけ?食べたりしないんですか?

はい、絶対に食べないです。上の子も下の子がそうやって周りを歩いていても怒ったりしない。その信頼関係は、やはりオーナーが作ってあげなきゃいけないんですよね、最初に。1頭目とオーナーがしっかり関係性を築き上げていれば、このまま何頭増えても同じような関係性を作っていけるんだと思います。多頭飼いでもハチャメチャな人もいるじゃないですか!上下関係なんて何も関係なく、まさに吠えることが仕事みたいにキャンキャン吠え続けて。あれは1頭目とオーナーさんの関係が成り立ってないのに次の犬が来てしまったから、もう犬社会、犬が中心になっちゃってるんですよね。ここは人間社会で、絶対に人間が一番というように教えないと大変なことになります。例えば、家ではまず僕がご飯を食べます。どれだけ彼らを待たせても、まずは僕。その後、彼らが食べる。家に帰ったらまず散歩に出します。散歩に出してから、僕がご飯を食べて、彼らが食べる。

──まずお散歩というのは米倉家のルールなんですか?

はい、絶対僕が連れて行きます。どんな大雨でもどんなに大雪が降っても。どんなに戻りが遅くても夜行くし。どんなに朝が早くても散歩に行くのは自分です。

──大変じゃないですか?

それは彼らの命を預かった者としての責任ですね。愛情はもちろん、責任です。これを怠ってしまうと彼らの健康が危ぶまれる。彼らが元気でいてくれるから僕は仕事ができる。今日も奴らは家でお留守番しています。賢くお留守番できているのも健康だからですからね。奴らの健康管理のための運動、そして、ウチはトイレがすべて外なので、トイレをさせるために散歩に連れて行きます。

──米倉さんは日本に帰ってくるきっかけとして1頭目のbacio君を飼いだしたんですよね?

日本での生活のために彼が我が家にやってきたのではありません。彼との出逢いが日本での生活のきっかけになったんです。

──2頭目を飼おうと思ったきっかけは?

ずっと多頭飼いをしたかったんですよ。だけどこの仕事のこともあって、多頭飼いするのは大変かなとずっと思っていました。最後の決め手になったのは、犬は多頭飼いすると上の子が長生きするというお話を聞いたからなんです。

──へぇー。

犬同士の相性がよければ、上の子が「自分もまだ若いんだ」っていう気になるらしいですよ。

──2頭目のワンちゃんとの出会いは?

2頭目もブリーダーさんです。僕と出逢った時はすでに生まれて4カ月ぐらいたってたんです。だけど、1.9Kgしかなくてすごくちっちゃかったんですよね。もしかするとブリーダーさんが体重調整をしていた可能性も高かった。上の子は50日ぐらいでウチに来たので、きっと親のことはほとんど覚えてないでしょうね。僕しか知らないはずです。

──独身女性の間では、ペットを飼うと結婚できないといわれてますが。

それはペットに集中しすぎて周りが見えなくなって、彼氏もできなくなってしまうよということだと思うんですけど。でも、ペットとの関係性を考えていくと、自然と人とのコミュニケーションも怠らなくなるはずです。バランスですよね。昨日ラジオを聞いてたら面白い話を耳にしました。「自分は飼ってる犬がキャインキャインいったらすぐにおやつをあげてキャインキャインっていったらすぐ抱っこしてってすぐなんでもやっちゃうタイプで、占いを見たら、私はダメ男を作る典型的なタイプだったんです」ってとあるタレントさんが話をされていました。もう、典型的ダメオーナーですね。

──おぉー。

僕は1頭目のとき、少し厳しすぎるかなと思うような躾をしました。厳しさって愛情の裏返しだってよくいいますけど、本当にそうだと思うんです。成犬になった時、楽しい生活を送ってほしい。オーナーである僕もペットとの生活でストレスを感じない楽しい生活を送りたい。そのためには、お互いにしっかりルールを決めて、居場所を作るというのがまず大事。1頭目だけのときは家のなかにトイレを作ってトイレシートがトイレだったので、、ここは君のトイレ、ここは僕のトイレというのを明確にして、ちゃんとルールを決めてあげました。そのルールですら、言葉がわからない彼からすると厳しいことだったかもしれないけど、ちゃんとルールを作ってあげると、お互いに邪魔をしないで一緒に共存できるんです。

──なるほど。

恋愛も僕は同じだと思っています。何でもかんでもかわいいから、好きだから、愛してるから許しちゃうって、一生それをやり続けられるんだったらやればいいけど、そういう人って必ず最後に「アイツ本当にわがままでさ」ってなるでしょ?。そういう状況を作ったのは自分なのに。

──ああ~。

結局それが自分の人生の苦になってくるんであれば、最初に釘打っとけよって僕は思う。最初は好きな気持ちで盛り上がってしまい、そこがいいんだよってなるかもしれないけど。絶対にどんなに小さな嫌なこと、黒いホールでも必ず大きくなっていく。

──あぁ……(苦笑)。

だって、相手はそれでいいんだと思って、その人との関係性を形成していっちゃうんですもんね。ある意味、何も悪くない。相手にとって嫌なことをしてしまっていたとしても、なにもいわれないということは、この人は平気なんだなって思いますよね。例えばご飯の食べ方にしてもそう。小さい頃からの癖や習慣、相手にしてみればとても嫌な癖や習慣だったりする。それを強制するのは良くないけど、やっぱり一緒にいる人だから、お互いにちゃんと居場所という価値観の共有をすることが大事だと思います。

──いいアドバイスです。

だから、ペットを飼うことは恋愛ができなくなる!!なんて、そんなに悪いことではないと思いますよ。まぁ、でも、一ついえるのは、僕が恋愛をするとき、やはり犬好きの人じゃないと恋愛できないです。彼らは自分の大親友であり家族ですから。ぜひ、犬好きであって欲しいです。

──それでは次に米倉さんのボディメイクに関しても聞かせてください。現在もジムには。

行ってますね。

──米倉さんが体を鍛えるようになったきっかけは?

一番最初はアメリカでの生活が始まったとき、もともと体がすごく細かったからです。アメリカでは自分より身長も体も大きい人だらけだから、アジア人=小さいというのがコンプレックスで。大きくなりたいと思ってジムに行き始めたんです。あともう1つ理由を上げるとすれば、NYに行き始めたときに、街行く人達をよく見てたら、本当にファッションが好きでオシャレなニューヨーカーって一握りなんだなと思ったんですよ。でも、すっごいダサいのになんでオシャレに見えるんだろうという人がたくさんいる。短パンとタンクトップでもいいんです。女性も、ジーンズとザクッと着たセーターでもいいんです。そのセーターが毛玉だらけでもいい。なんでオシャレに見えるんだろうと思ったら、体の形だ、と。生まれ持っての骨格は変えられなくてもボディメイクはできる。それをやってみようと思ったのがきっかけですね。

──歌い手、シンガーとして必要だったというのでは。

ないです。逆に筋トレはあまり喉によくないらしいですからね。

──そうなんですか?

ええ。喉の筋肉が喉を狭めちゃうんですって。だから、喉を使う人用の呼吸法というのが実はあって。喉に負担をかけない呼吸法を使って僕はトレーニングをやっています。郷ひろみさんに教えてもらったんです。

──日本に戻って以降もトレーニングを続けてらっしゃる理由は?

健康管理のため、あとは体の形をキープすること。いまはツアー前なので体力作りも考えてすごく集中して減量もやってる時期ですね。去年の年末からやっていたんですけど、年末年始に食事制限は無理(笑)。「お餅10個ちょうだい!」っていうタイプなんで。

──あはははっ(笑)。

だから、本格的にやりだしたのは1月中旬ぐらいからです。ちょっとずつ食事制限をしていって、2月に入る前から本気で食事制限を始め、ジムも週5通えるときは通ってますね。

──トレーニングしてるときは、どんなことを考えてるんですか?

トレーナーさんに付いてもらってるんですよ。だから、基本的にトレーナーさんに預けてます、体を。だから、何も考えないです。レップ数もその日のメニューも。なぜそうするかというと、中途半端な知識しかない人が下手に自意識を持つと、絶対に伸びない(きっぱり)。プロにまかせちゃった方がいいんです。トレーナーさんがレップ数を数える。でも、ウチのいまのトレーナーさん、“1、3、4、3”って戻ったりして。

──えぇー(笑)。

気がつくと25レップぐらいやらされてたりするんですよ。でも、それでも“いいや”と思って身を預けています。この人がいいと思ってることについていかないと、ボディメイクは無理だと思っていますから。

──そこまで預けほうがいい、ということですか?

僕はそう思います。トレーナーさんに“あと何回やるんですか?もうしんどくて無理です”とかいったりする人がいるんですけど。それだと、自分で自分をトレーニングしてない?って思うんです。やっぱりそこは預けること。野球でもそう。コーチがいうことをやる。トレーニングするときに自分の限界は伝える必要はないと思います。もちろん、怪我に繋がるような無理はダメです。限界まで無理でもやってみるんです(微笑)。それでできたらできただし、できなかったらできなかったでそれを見てくれているトレーナーさんがいる。なぜ僕ができなかったのかを見てくれている。それを踏まえて次のトレーニングがある。完全に預けることが重要なんです。でも、これってなんにでもいえるんじゃないのかな。仕事も恋愛もそう。恋愛も相手を信じてあげないと自分も信じてもらえない。トレーナーさんもそう。自分に預けてくれているという信頼を感じてくれた時点から、変わってきますから。

──では、いまのトレーニングで米倉さんが特に重点的に育てているパーツというと?

全体的に育てたいなと思うんですけど。僕、去年肩を故障したんですよ。トレーニングと四十肩で。全然上がらなくなっちゃって、秋~冬がピークでした。いまのトレーナーさん曰く、僕は胸の筋肉が人より発達しているらしくて。それに肩の筋肉が追いつけてなかったらしいんですね。だから、いまは胸のトレーニングはほとんどやってないんです。まず弱いところからやっていきましょうということで。いまのトレーナーさん曰く、筋肉にも流行りがあるらしくて(笑)。いまは、肩の筋肉が流行ってるらしいです。

──えっ!筋肉に流行りがあるんですか?

みたいです。“いまは肩っスよ!”ばかりいうんですよ(笑)。若いんで“肩ですよ”ではなくて“肩っスよ”なんです(一同笑)。それで“次は僧帽(筋)っスよ”といってますね。それで“そうっスか”と僕も返してます(微笑)。

──では、ツアーでは肩の筋肉からの僧帽筋、こちらも楽しませて頂こうと思います!!

長島涼平の「熱闘!クロスファイヤー」第2回:野球少年の憧れ!清原選手

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長島涼平の熱闘!クロスファイヤー

皆さんこんにちは!春真っ盛りの涼平です!
もうすぐプロ野球も開幕するし、侍ジャパンの強化試合もあるし、今月は野球ファンにとってはたまらないですな!
今回も我が埼玉西武ライオンズから秋山と銀二郎が選ばれてるので我が子を送り出すような気持ちで見たいと思います。あと、またいつか侍ジャパンの4番におかわり君が帰ってくることを心から願ってるぜ!

さて、このコラムも早くも2回目!ビシビシいきまっせ!
何をテーマにしようか悩んだんですが、あえてここはホットゾーンに飛び込もうじゃないか!ということで今回のテーマは清原選手です。おっかねーけど。

プロ野球カード

宝物のプロ野球カード

今の若い人達はひょっとしたら清原の現役時代を知らないかもしれませんが、そりゃもう西武ライオンズ時代は特にもの凄かったんだから!
埼玉出身で野球少年だった自分は、物心ついたときには自然と西武ファン&清原ファンになってました。

小さい頃はみんな、西武ライオンズのキャップ被って、無駄に内側についてるメッシュの日よけみたいなやつ出して遊んでたもんなー。あれ何の意味あんだろ。

清原はマジでわかりやすいぐらい豪快だったからか、野球少年が憧れやすいプロ野球選手だったと思います。
『無冠の帝王』とか言われてたけど、それでもこれだけ記憶に残ってる選手っていうのは珍しい。

特に、伝説の87年の日本シリーズ「西武-巨人の第6戦」では、西武が巨人を4勝2敗で破って2年連続で日本一に輝いたんですけど、この時、清原が9回裏の最後の守備をしている時に号泣していたのは有名な話ですね。
そして号泣する姿を見たセカンド辻に注意されても、清原は涙を止める事ができなかったようです。その姿に伊東、秋山ももらい泣きをしていたってエピソードは本当に感動します。
ちなみに工藤だけは涙で打球が見えないファースト清原へボールが行かないように、わざと外野フライか三塁方面に飛ぶような配球をしていたというのだから、どんだけスゲー投手だったんだって話です。

■1987年 日本シリーズ 第6戦
11月1日 西武球場 入場者32323人
巨人:0 0 0 0 0 0 1 0 0  1
西武:0 1 1 0 0 0 0 1 X  3

[巨]●水野(1敗)、鹿取-山倉
[西]○工藤(2勝1S)-伊東

巨人
1(一)中畑清
2(遊)鴻野淳基
遊 川相昌弘
3(中)クロマティ
4(三)原辰徳
5(左)吉村禎章
6(二)篠塚和典
7(指)有田修三
8(捕)山倉和博
9(右)駒田徳広
西武
1(三)石毛宏典
2(二)辻発彦
3(中)秋山幸二
4(一)清原和博
5(左)安部理
6(右)ブコビッチ
7(捕)伊東勤
8(指)白幡隆宗
9(遊)清家政和
【本塁打】
(巨)原2号ソロ(7回工藤)
(西)清家1号ソロ(3回水野)

「1987年の日本シリーズ」フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より引用
2016年2月13日 (土) 05:45 UTC
https://ja.wikipedia.org/wiki/1987年の日本シリーズ#.E7.AC.AC6.E6.88.A6

それと、プロ野球史に残る名勝負はたくさんありますが、清原って『名勝負請負人』って感じしますよね。
なんていうのかな、打者が清原ってだけで名勝負が成立するようなそんな空気感がありました。

中でも94年の日本シリーズでの桑田対清原は痺れましたねー。
全力の桑田のストレートを振り抜いてホームランにする清原ね。

あの時は2人とも闘志むき出しで、むしろ互いに負けられない意地みたいなものを感じました。打たれた後の桑田の表情がそれを物語っていた気がします。当時僕はまだ小学生だったけど、名勝負ってのはやっぱりそういうのが画面越しでも伝わってくるもんですね。

リアルタイムで見れて本当に良かったっすね。
あまりにかっこよくて当時小学生だった自分は、ひたすらテレビの前でカラーバットを素振りしまくり。
親にすげー怒られました。

■名勝負の一つ「清原和博氏が野田浩司氏と一打席真剣勝負!2013年8年30日」

しかもその年、西武は巨人に負けたんですけどね。(くそっ、、、巨人め。進撃かっ!!)
タイトルの数や生涯成績とか関係なく、やっぱり清原はワン&オンリーな選手だったと思います。
今もこれからもアクの強い選手はたくさん出てくると思いますが、その度に清原のことを思い出してしまいそうっすね。

まぁそんなわけでね。今、ニュースで清原が容疑者になってしまったのはとても残念でなりません。
相当難しいことだとは思いますが、個人的には「またなんらかの形で野球と関わってくれたらいいなー」と思ってます。
カムバーックきよはらー(´Д` )泣。

引き続き、野球について熱く語りたい事があったら #熱闘クロスファイヤー にツイートしてね。

ではまた次回!

クロスファイヤー第2回2

キヨと俺

★PS★お手玉プロのトクちゃん。91歳。俺の卓越した野球センスはばあちゃんから受け継いだのだ!


(次回は4月中旬予定)

LIPHLICH、新体制初の単独公演ツアー中の彼らに、その手応えを訊く!

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LIPHLICH

インタビュー/牧野りえ

独特な感性と表現力を持ち合わせた4人の奇才からなるエンターテインメントロックバンド、LIPHLICH。2016年1月24日にドラムの小林考聡が加入し、永続性、破壊と創造等の意味を持った“ウロボロス”をテーマに、バリエーションに富んだニューアルバム『蛇であれ 尾を喰らえ』を2月10日にリリース。現在単独公演ツアー「ウロボロス-蛇であれ 尾を喰らえ-」真っ最中の彼らに、4月2日川崎CLUB CITTA’にて開催される単独公演ツアー「ウロボロス-頭-」に向けて話を聞いた。

──新ドラマーとして小林さんの加入も発表された、今年1月24日の赤坂BLITZでの単独公演ツアー「ウロボロス-尾-」はどんなライブになりましたか?

小林孝聡(Dr.) 僕はド緊張しました(照笑)。始まった瞬間、緊張はなくなりましたけど。

久我新悟(Vo.) ニューアルバム『蛇であれ 尾を喰らえ』のリリース前だったので、演奏曲すべて新曲という実験的なライブでしたね。

進藤渉(Ba.) どの曲も世界観を持って作ったんですけど、実際にライブでどう化けるのかっていうのは我々にもわからないところがあって。そこは久我くんが言ったみたいに非常に実験的だったなっていう。と同時に、ライブの冒頭に小林孝聡が加入することを伝えたんですね。だからヘンな先入観を持たれずにこの4人の作品をステージで発表できたのが良かったと思います。

新井崇之(Gt.) ふつうアンコールとかにメンバー加入の発表をすることが多いと思うんですけど、久我くんが冒頭に“この4人でLIPHLICHとして進んでいく。この4人のライブを最後まで楽しんでもらいたい”と話をしてくれて。その姿勢をちゃんと伝えていけるバンドってカッコいいなって思ったし、“新しいLIPHLICHの世界をもっと押し出していきたい”っていう気持ちを持ってできたので、実験的でしたけどすごく手応えのあるライブになりましたね。

──現在、ニューアルバム『蛇であれ 尾を喰らえ』を引っ提げた単独公演ツアー「ウロボロス-蛇であれ 尾を喰らえ-」も後半戦に突入しましたが、ツアーを廻っている中でどんなふうにバンドの変化を感じていますか?

久我 結成して6年目になるんですけど、小林くんが入ったことでちょっと新人バンドのような感覚がありまして(笑)。一本一本やるたびにレベルアップしてると思いますし、ファンからのレスポンスもいいかなと。

新井 もともと小林くんは後輩で、意識しなくても先輩・後輩の壁みたいなものがあるじゃないですか。でもライブの本数を重ねる度にそれがなくなってきてますね。この短い期間でどんどん良い関係が築けている気がします。

小林 最初は自分のことで精一杯なところがあったんですけど、1ヵ月ちょっとツアーを廻って単純に体もLIPHLICHのライブに慣れてきたし、心の余裕も生まれてきて。全体を見渡すことができてきてると思います。

進藤 あと明確に変わってきてるのは、ライブでのあうんの呼吸が自然とできてきたというか、空気の読み方がずいぶん変わったなと思います。プレイヤーなので音を合わせることはできます。彼はそれだけの実力もありますし。ただ、ライブにおける空気感だったり間だったりっていうのは、やっぱりライブを重ねて培っていくものだと思うので。最近は音を出してるときの呼吸の合い方がすごくいいですね。

小林 ほとんど毎日、ずっと一緒にいますからね(笑)

久我 本当に技術は申し分がないというか、超上手いので。逆に初心に返らせてくれるところもあるんです。一番年下で、それなりのキャリアのバンドに食い込むっていうのは、やっぱり根性とか気合い、あと実力もないとやっていけない。それはもう最初から感じられたんで、自分たちも負けてらんないなっていう良い刺激になってますね。

──今ツアーで『蛇であれ 尾を喰らえ』収録曲を演奏してきて、レコーディングでの印象と違うノリが生まれた曲はありますか?

新井 『GOSH!』ですね。レコーディングのときにはもっとシリアスな感じの曲だったんですよ。

久我 硬派なロックというか。それがライブで披露したときにですね、進藤くんがぶち壊しまして(笑)。何の打ち合わせもなく急にステージ上で“わたし、この曲で踊りたい!”って言い出しまして。ベースをほっぽりだして踊り始めたんですよ。今ではそれが定着しちゃいましたね。

──進藤さん、ステージで急に踊りたいと思ったんですか?(笑)

進藤 もうレコーディングのときから思ってました。

久我 そっから思ってたんですか!?

新井 硬派がいきなり軟派な感じになっちゃって、天変地異でしたね(笑)

進藤 おかげさまでお客さまには大変喜んでいただいて。

新井 あ、そうなんですか?お客さまの声は今初めて聞きましたけど(全員爆笑)

──お客さんから予想外のノリが生まれた曲もありますか?

久我 ヴィジュアル系ってわりと“はい、ここで頭振って!” “はい、ここでジャンプして!”ってわかりやすく曲を作ってたり、ボーカルが指示するときも多いですけど、僕らはお客さんのノリはあまり考えて作ってないんですよ。

新井 曲作りのときにリズム的なところではライブのことをイメージしますけど、お客さんのノリまでは考えないですね。

久我 実際にライブでやってみて“もっとこうしたいな”って思えばアレンジを変えちゃいますね。

新井 うちはCDと違うアレンジのパターンが多いですね。

進藤 今回のアルバムに収録されている『slow virus infection』は、たまたま昨日整理したらこのツアー中で6パターンありました。

──6パターンですか!?(笑)。毎回セットリストを変えてるということですか?

久我 結構変えてますね。1曲目、どの曲で始まるかも毎回変えてます。

進藤 会場の雰囲気や照明をふまえて“今回はどう始めようか?”ってみんなで話しますね。うちのライブはよく“ショー的なものを感じる”と言われるんですけど、それはおそらくそういうところかもしれないですね。あんまり意識したことはないですけど。

──会場に合わせてセットリストを考えられると。

新井 だから最初にそのライブハウスの下調べをするよね。

久我 そのライブハウスに似合う曲かどうかを考えますね。同じことの繰り返しはしてないので刺激的で楽しいですね。

──さて4月2日に川崎CLUB CITTA’で単独公演ツアー「ウロボロス-頭-」が行われますが、どんなライブにしたいと思っていますか?

久我 (3月上旬現在)そろそろ考えなきゃいけないなって思ってるところなんですけど(苦笑)。何となく考えてることは、もともと映像を使うのが好きだったり、サンドアートの方とかバイオリンの方とかゲストを入れることもあるんですけど、今回は過剰な演出とかセットではなく、4人の音だけ十分勝負できるかなと思ってます。

小林 バンドってよく“センターラインが大事だ”って言われるんですよ。ドラムとボーカルの縦のライン、そこの息の合い方ですよね。それをこのバンドに加入して実感しまして。ドラムが最初のキュー出しをすることが多いんで、やっぱ縦の息が合ってないとライブのノリや運びもうまくいかないんですよね。ライブをする度にそのセンターラインがグッと近づいてきたなっていう感覚があって。ツアー後半戦、CLUB CITTA’に向けてさらに強固なものにして、メンバー一丸となったライブをしたいですね。

進藤 “この4人で”とアピールする場はCLUB CITTA’が最後ですから。次回以降の作品やライブでそんなことを言うつもりは毛頭ないんで。『蛇であれ 尾を喰らえ』を聴いていただいて、これから始まるLIPHLICHのツアーのシメをぜひ観に来ていただきたいなと思っています。

新井 LIPHLICHをより愛してくれるきっかけになればと思うんですよね。ライブを通してLIPHLICHをもっともっと愛してもらえる要素を見つけてもらいたいし、僕たち自身も例えばメンバーに対する発見だったり、曲の持ってる表情とか表現の発見だったりがライブをやる度にあって。残りのツアーを含めて見つけたものをCITTA’で全部吐き出せたらいいかなって思ってます。

久我 一日一日、ものすごく急成長していて。やっぱ人間ですから体調やらいろいろあって常に100%っていうのは難しい部分があると思うんですけど、100%の力を発揮できるようにしたいですし。ファイナルだ!って気張る感じではなく、当たり前にそこにいて、当たり前のようにカッコいいライブをしたいなと思ってますね。

メイジャー・デビュー15周年 氣志團が選ぶ「15大トピックス」!

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気志團MV

インタビュー・構成/フジジュン
写真提供/オフィス男闘呼塾エンターテインメント

今年1月に最新アルバム『不良品』をリリースし、「メイジャー・デビュー15周年記念興行 ツッパリHigh School Musical『氣志團學園Ⅱ ~拳の中のロックンロール~』」を開催中の氣志團。メイジャー・デビュー15周年を記念して、デビュー年から現在に至る氣志團の15年の歴史を振り返るスペシャルインタビューを敢行!15年を各メンバーに振り分けて、その年に印象的だった出来事や思い出を語ってもらう“15大トピックス”形式で行ったインタビュー。他では語られることのない本音や真相は、熱心なファンならずとも必読です!

第1回 2001年〜2006年のトピックス

★2001年★
3ヶ月連続VHSビデオリリースで東芝EMIよりメイジャー・デビュー

気志團

あの頃の俺達〜デビューの頃〜

「結成3年、上昇気流に乗った00~01年」(綾小路翔)

2001年に入ってからは本当に目まぐるしい日々で、あまり覚えていないんですけど。2000年1月にダイノジに呼ばれて出演した、オナニーマシーン(※編集部注:当時、“特殊分泌家”を名乗りライターとして活躍しながら、オリコンウィークリー編集長も務めていたイノマーが、オノチン[JETBOYS]、ガンガン[ex.ONE NIGHT STANDS]と共に結成した、全裸がユニフォームの3ピース性春パンクバンド。03年、サンボマスターとのスプリット盤「放課後の性春」でメジャーデビューの経験アリ)主催の「ティッシュタイム」から一気に状況が変わったんです。あれから色んなライブに呼ばれるようになったし、あの日の夜、“綾小路 翔 ホットライン”と呼ばれる僕の携帯電話に初めてチケット予約の電話が来たことをキッカケに、倍々ゲームでお客さんが増えていって……。結成3年、ファンや盟友が出来て、先輩方にも目をかけていただけるようになって、やっと上昇気流に乗れたのが2000~2001年でしたね。そこからたくさんのレーベルや事務所さんからも声をかけていただけるようになったんですが、その中でも一番最初に目と声をかけてくれたのがディスクガレージさんで。目黒の川沿いにあった事務所に呼ばれて「ワンマンをやろう」と言っていただいて。それはその後、2001年7月に行った初のワンマンGIG「氣志團現象 ~ハイウェイに乗る前に~」で実現するんですが。その過程で、東芝EMIでメイジャー・デビューすることも決まっていくんですね。4月くらいにEMIで仮レコーディングをしたり、合宿に行って歌モノの曲を何曲か作ったりしていましたね。デビュー曲は「黒い太陽」にするか「湾岸夜想曲~ルシファーズ・ハンマー’94」にするかで悩んだ挙句、業界向けのプロモーション用に作った「氣志團現象」というビデオが一番面白いんじゃないか?という話から“3ヶ月連続VHSビデオでデビュー”ということになったというのが真相で。そこから、自分で“神風期”と呼んでいる時代に突入するわけですね。2001年のトピックスは、やはりメイジャー・デビュー、そして“氣志團現象”のステッカーを街に貼りまくって2名の逮捕者を出したという初ワンマンの開催かな(笑)。自分たちを取り巻く環境がどんどん変わっていって、夢みたいな日々が始まった頃でしたね。

気志團01-2

あの頃の俺達~デビューの頃~

[画像左]3ヶ月連続VHSビデオでデビュー [画像右]「氣志團現象」告知ステッカー

 

★2002年★
メイジャー1stアルバム「1/6 LONELY NIGHT」(東芝EMI)発売

「One Night Carnival」をメイジャーで出すのに抵抗があった。(西園寺瞳)

2002年はドラマ「木更津キャッツアイ」に出演して、NHK「トップランナー」に出演して、氣志團を取り巻く状況がまたガラッと変わった時期でした。1stアルバム『1/6 LONLY NIGHT』が出て、メイジャー盤の「One Night Carnival」が出て。1999年くらいまではバンドが大きくなっていくスピードがまだ自分の中で把握出来てる感があったんですけど、2001年くらいから自分が思っている以上のスピードで色んなことが転がり始めてからは正直、不安もありましたね。あと、色んな人が知ってくれることで、逆にアンチが増えたことも感じていて。ちっちゃいことにこだわってたのかも知れないけど、俺たちの中には“ストリート出身”というプライドがあって、ライブハウスの叩き上げなんだという気持ちもあったから、色物に見られることで音楽的なアイデンティティが揺さぶられていた部分もあって。原宿でフリーGIG「03.30 原宿暴動」をやった時、怒髪天の増子さんに「お前らは俺らの誇りだ!」と言ってもらえたのがすごく嬉しかったし、インディーズ時代にやってきたことに誇りがあったから「One Night Carnival」をメイジャーで出すことに抵抗があったし……今考えるときっと、自信も無かったし、自分たちが確立してなかったんでしょうね。今は「GIGを一発見れば、きっと分かってもらえるはず」と思えるから、周りにどう見られようとなんとも思わないんだけど。俺やランマはこの頃、状況の変化に混乱してましたね。

2002/3/30 フリーGIG「03.30 原宿暴動」

 

★2003年★
2nd アルバム「BOY’S COLOR」(東芝EMI)発売。
「氣志團万博2003 木更津グローバル・コミュニケーション!! ~Born in the toki no K-city~」を木更津市/かずさクローバーパークにて開催 。

氣志團万博2003 木更津グローバル・コミュニケーション!! 〜Born in the toki no K-city〜)

氣志團万博2003 木更津グローバル・コミュニケーション!! ~Born in the toki no K-city~

「寝る間もないほど多忙な日々に、文句ばっかり言ってた」(星グランマニエ)

この頃のことは全っ然覚えてないんですけど、「氣志團万博2003 木更津グローバル・コミュニケーション!! 〜Born in the toki no K-city〜」をやるって聞いた時は実感がなくて、「本当にやるんだ」という感じでした。実際やってみても「なんじゃこりゃ、すごい人だな!」って感じで、夢の中にいるみたいにボーッとしてて。「なんで、自分の親が出てるんだろう!?(※実父・ノブ・グランマニエがオープニングに聖火を持って入場し、開会宣言を果たした)」と思って見てました(笑)。親孝行になったから良かったんですけど、僕もよく知らないうちに出ることになってて、「実家に撮影行って来たよ」って後から聞かされてビックリしたのを覚えてます。『BOY’S COLOR』を作った頃は、とにかくレコーディングが怖くて。阿部(義晴/現ABEDON)さんは優しかったんですけど、「グルーヴを出して」って言われても「グルーヴって何?ノリ?何を言ってんだろう?」みたいな感じで言ってることも分からなくて、いっぱいいっぱいの中、勢いだけでやってました。(年表を見ながら)ツアーも万博前に41カ所48公演、年末にも10カ所20公演のやってるんですね!へぇ~、すごいなぁ~~!この頃は何か一個凄いことがあった後、すぐに凄いことが決まってるから、気持ちが休まる暇がなくて。朝までレコーディングをやっては撮影があってとか、いつも朝まで作業してて、全然寝る間もなくて。時間が出来ると呑んだくれて、文句ばっかり言ってました。

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[画像左]あの頃の俺達〜2003年〜 [画像右]2ndアルバム「BOY’S COLOR」

 

★2004年★
3rd アルバム「TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE」(東芝EMI)発売。
東京ドームにてGIG(氣志團現象最終章~THE LAST SONG~)、45,000人を動員 。

あの頃の俺達〜2004年〜

あの頃の俺達〜2004年〜

「東京ドーム公演を目前に、ランマがビルから落ちる」(白鳥松竹梅)

この年の一番の事件はやっぱりランマが怪我をして、東京ドームのGIGに出れなかったことじゃな。あの頃も“禁酒令”が出とったんかのう?ランマには何度か禁酒令が出とるんじゃが、隠れて飲んじょって。東高円寺のコンビニで、こっそり酒を買っちょるのをワシが見つけて叱ったこともあったんじゃが。ツアーの最中、大阪で一緒に呑んどる時にランマがビルから落っこちて。その時、ワシも一緒におったから責任感じたのう……。事故の後、みんなで集まってミーティングした時、メンバーは「東京ドームは中止するしかない」と言っちょったんじゃが、当時のマネージャーの明星さんが「こういう時だからこそ、やるべきじゃないの?」って一人だけ言って。師匠の阿部(義晴/現ABEDON)さんに「お力をお貸し下さい」とお願いして、東京ドームをやることになったんじゃ。あん時はメンバー全員、東京ドームに向けて、そりゃあ一致団結しとったわ。その後、名古屋の振替公演でランマが復活した時は、わっぜ感動してのぉ。事故は不運じゃったが、こうしてまた一緒にやれてるちゅうのは結果、幸運じゃったと思うたわ」

[画像左]氣志團現象最終章"THE LAST SONG" in東京ドーム [画像右]3rd アルバム「TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE」

[画像左]氣志團現象最終章”THE LAST SONG” in東京ドーム [画像右]3rd アルバム「TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE」

 

★2005年★
アルバム「愛 羅 武 勇」(東芝EMI)発売。
HALL GIG TOUR 2005→2006 「氣志團學園~愛羅武勇からはじめよう~」開催。

[画像左]あの頃の俺達〜2005年〜 [画像右]4thアルバム「愛 羅 武 勇」 

4thアルバム「愛 羅 武 勇」

「音楽性に悩んだ時期。DJ OZMAの誕生、『愛 羅 武 勇』の完成」(綾小路)

ランマの復活を待って名古屋と大阪でアリーナツアーの振替公演をやって、映画「ワンピース」の主題歌の話が来て、シングル「夢見る頃を過ぎても」を出して……。傍目には順調に見えるかも知れないですけど、業界全体のCDの売上も下がってきた時代で。我々も「GIGの動員はあるけど、CDのセールスとのバランスが悪い」と常に言われ続けていて、果たして氣志團には一体どんな音楽が求められているんだろう?と悩んでいた時期でした。だから、作品ごとに色んなパターンの曲に挑戦したり、CDでしか聴けない“DJオズマ”と名乗るキャラを起用したり……僕も必死だったんですけど、メンバーも「いま地に足をつけないと、俺たちは終わる」と思っていたようで、アリーナツアーを終えた後に「ライブハウスでやりたい」と言われて。この年はライブハウスとホールの両方でツアーをやったりしていましたね。あとこの夏、台北のフェスに行った時、コーディネーターに「絶対近寄るな」と言われてた呑み屋のビルに呑みに行って「流行ってる歌を歌ってくれ」と言った時に歌ってくれたのが、DJ DOCの「Run To You」の台湾版、アレックス・トーの「脱掉/TAKE Off」で。それがキッカケになって生まれたのが、DJ OZMAだったんです。当時、色んな人に意見されて、スマートにJ-POP化していく氣志團の音楽に行き詰まりを感じていて。それをキッカケに韓国の音楽を聴くようになったら、全部が全部サビみたいな情報量の多いパワフルな音楽がすごく俺好みだなと思って。そこから徐々にアジアの音楽にハマっていくんです。同時期に日本のHIP HOPを僕なりに分析するようにもなりました。ちなみに、この時期に制作された『愛 羅 武 勇』という楽曲は、当時絶大なセールスを誇り、社会現象ともなったDef Techにインスパイアを受けて作った曲なんですよ。「どの辺りが?」って感じだとは思いますが(笑)。音楽的には僕の中で色々な発想が蠢いていた時期だったんですけど、それを共有出来なかったこともメンバーとの間にズレが生じてきた理由だったのかも知れませんね。この年に行った『氣志團學園~愛羅武勇からはじめよう~』ツアーも僕の中で一番の達成感があった内容で、すごく充実した時期ではあったと思うし。東京ドームやりました、紅白歌合戦にも2年連続出ましたと、周りからみたら順風満帆に見えていたかも知れませんが。その翌年に氣志團の活動が一度止まってしまったことを考えると、すごく大変な年ではありましたよね。

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あの頃の俺達~2005年~/DJ OZMA

 

★2006年★
氣志團万博2006「極東NEVERLAND」を富士急ハイランドにて2days開催。

「氣志團万博2006『極東NEVERLAND』OP映像撮影で、メンバー海外へ」(早乙女光)

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画:早乙女光

氣志團万博2006「極東NEVERLAND」

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森大輔、明日ニューアルバム発売!ライブを通して気づいた楽曲制作の変化

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森大輔

TEXT/兼田達矢

──前作から今回の新作『Music Diner』までの約2年半の活動のなかで大きなトピックのひとつに“森の音楽会”というライブ・シリーズを重ねてきたことがありますが、この企画はどういう思いで始めたものですか。

森大輔:そもそもは、ライブをもっとやりたいなと思い始めたんです。前のアルバムを出した直後くらいから。そこで“森の音楽会”というタイトルをまず思いつきまして、僕の名前から採ったタイトルではあるんですけど、毎回サブタイトルが付くので、そのサブタイトル次第で内容は毎回自由に考えられるな、と。しかも、毎回コンセプチュアルにやれるというのが自分にとっていいやり方なんじゃないかなと思いまして。それで、あのライブを始めました。

──「ライブをもっとやりたいな」と思い始めたのはどういう気持ちの流れだったんでしょうか。

森:前のアルバムを出したときに4都市でライブをやって、そのなかにはすごく久しぶりだった場所もあり、それで思うところがあったのかなあ。と、いま振り返ると感じるんですけど。そのときに、毎回終演後にサイン会をやって、お客さんと話したりすることを初めてやったんですね。その経験が僕には新鮮で、またライブに対する考え方も変わってくるきっかけになったのかなあという気がします。

──お客さんと直接コミュニケーションした経験を通して、どういうことを感じたんでしょうか。

森:音楽を作って歌うという、僕のなかでの優先順位というか重心の位置みたいなことだと思うんですが、いままではスタジオで作ることがまずありきで、ライブはそれに付随してくるものというふうに思ってたんです。でもライブに来てくれた人たちの話を聞くと、「音源を聴いて助走をつけて、ライブをいちばん楽しみに思って来ました」みたいな感じで、楽しみ方の順序が僕とは逆のお客さんがたくさんいることに気づいたし、楽しみ方の順序が僕とは逆のお客さんがたくさんいる事に気づいたんです。それで、「僕自身もお客さんと同じ思いになれるな」ということを当時思った気がします。

──そういう気持ちのなかで始まった“森の音楽会”を続けてきて、その過程でお客さんの反応や曲の解釈について何か感じたことはありますか。

森:これだけ続けてライブをやると、「前回もやったけど今回もやります」という曲があるわけです。そうすると、お客さんのなかにも前回も今回もその曲を聴くことになる人が出てくるわけですけど、その人たちの中からその曲に対して自主的に、例えば何か合いの手を入れようとか、そういう声が出てきたりしたんです。そういうことを僕は想定していなかったし、まして期待もしていなくて、ステージ上の演奏で完結するように考えていたんですけど、そういう思わぬサポートをしてもらえて、“これはライブをやっていかないと生まれてこないものだな”と思いましたし、客席側からのリアクションが多く返ってくるようになって想定外のことがたくさん起こるようになってきた気がします。例えば曲の尺を長く演奏したり、予定になかったアドリブをちょっと入れ込んでみたり、その場の判断でライブの内容が変わっていくことが増えてきたんですよ。

──以前はスタジオで完結していた楽曲に、ライブでお客さんに肉付けや装飾をしてもらうことを経験すると、次の“森の音楽会”までに新曲を作ろうとする場合に、その経験が何か影響したり、あるいは新曲のモチーフになったりすることはありましたか。

森:それは、けっこうありました。ある意味、僕もそういうお客さんの反応を期待するようになりますから、“こういうふうにすると手拍子しやすいだろう”とか“声を出しやすい部分があったほうがこの曲は盛り上がるだろう”とか、具体的に意識する場合もあります。もっと根本的な話として、いままではライブでその曲を聴く人の顔を思い浮かべて作ることがなかったんですけど、最近は聴かせる場所、発表する場所としてライブ会場というのがはっきり自分のなかでイメージできてるなかで曲を作るんです。それは、家族や友人にプレゼントを選んでるときのような感じというか、“これ、あげたら喜ぶかな”みたいな、それに近い気持ちがあるような気がしますし、その感覚というのはいままではなかったものだと思いますね。

──プレゼントを選ぶ際の考え方にも、欲しいと言っていたものを贈ろうということもあれば、逆にきっと予想していないようなものを贈って驚かせようとか、いろいろありますが、例えばアルバム1曲目の「monologue」はどういう考え方で生まれた曲でしょうか。

森:この曲を発表したときのライブのサブタイトルが「森のなかまが集まれば…」だったんですが、バンド編成でのライブですしワイワイやることを僕自身もイメージしてました。それで、お客さんもそのサブタイトルを見てそういう雰囲気を具体的に想像して来るだろうなと思ったときに、「monologue」というのは直訳すると“独り言”という意味ですが、まさかこんなマイナー・キーの重い感じの曲が出てこないだろうっていう(笑)。ある種、お客さんの予想を裏切りたいというか、「ちょっと驚いたでしょ?」と言いたかったところはありますね。

──逆に、みんなの予想に正面から応えようと思って作った曲はありますか。

森:ウ〜ン…、いま改めて振り返ってみると、例えば「雨に唄えば」というサブタイトルで「雨にうたえば」という曲を発表したときにしても、完全に期待通りというのとは違うというか、“えっ!?そうなの”という要素をどこかに入れ込みたいなという気持ちで作った気がします。「フルムーン」という曲は「月がきれいですね」というテーマで、季節は秋でっていう、わりとロマンチックな雰囲気のなかでのライブだったんですけど、この曲自体の歌詞に出てくる二人は全然うまくいってなくて、かなりギクシャクしてるっていう。

──十六夜の話ですから、もう月は欠け始めているわけですよね。

森:そうなんです。じつはフルムーンじゃないっていう、ちょっとした裏切りというか意外な要素を盛り込んでるんですね。「だれかのラブソング」という曲は、「夢であいましょう」というテーマで2時間のバーチャル・デートを楽しみましょうというコンセプトのライブで披露したんですが、クリスマスの時期だったから多分きらびやかなクリスマス・ソングを期待した人が多かっただろうし、実際にそういう曲調なんですが、歌詞の内容としては決して幸せなクリスマスを過ごしているとは言えない人の歌なんですよ(笑)。

──そういうふうに、普通の発想とはどこか違うひとひねりを自分の曲には入れ込みたいという思いが森さんのなかにあるんでしょうか。

森:まさにその通りでして、僕は聴く音楽もそういう曲が好きですから。そもそも音楽を聴いてるときには、誰でも多かれ少なかれ曲の展開を予想しながら聴いてると思うし、もしかしたら僕はその比重が高いかもしれないですけど、その予想を裏切られて、しかもその後に心地良さがやって来るような裏切られ方であるかどうかというのが僕のアンテナが反応するいちばんのポイントなんですよ。で、作ってるときにも同じことを意識してて、やっぱり作ってても飽きてしまうというか面白くないなと思ってしまうような曲は、良くないんです。僕自身が飽きずに最後まで面白いと思いながら完成させられる曲は、いい意味での裏切りポイントみたいなものをいくつか持ってる曲だと思いますね。

──歌詞を書く上で何か意識することはありますか。

森:歌詞は以前よりも書きやすくなってきたんです。以前は正直でありたいという気持ちがものすごく強くて、“自分だったら、こうは思わない”とか“自分だったら、こんなことは言わない”ということは書いてはいけないと思ってたんです。だから、テーマや言い回しも限られてきて、そのなかで苦しむこともあったんですけど、最近は1曲1曲ライブに合わせて書いているので、その中心に僕自身が必ずしも立っていなくてもいいと思うようになったというか、主人公が僕じゃなくていいやという曲がどんどん増えてきました。というか“主人公は僕じゃなきゃいけない”とか言ってられないくらい、いろんな曲を書かなきゃいけない状況になってみると、意外と面白く曲を作れるようになってきたということなんですよね。それから、歌詞を書いてて悩み始めたら、いったん止めることにしたんです。ただシャワーを浴びるだけでもいいし、もう少し余裕があるときにはちょっと出かけて1時間くらい散歩したりして、できるだけ気楽に過ごすことを心がけると、行き詰まってた先を見つけ出せるようになってきたという感じはありますね。その2つが、歌詞を書くことが面白くなってきてる要因だと思います。

──いまのお話などはかなり象徴的だと思いますが、森さんのなかでの音楽との関わり方、向き合い方が広がってきているというか、道筋が増えているような印象がありますが、ご自身ではいかがですか。

森:多分、そうなんじゃないかと思いますね。特に音楽の聴き方や、そこから得たものを自分の音楽作りに生かす考え方がここ数年で変わってきている感じがしていて、それは「今っぽいって、どういうことだろう?」とか、「今この時代に流れてくる音はどういうものが耳に“すっ”と入ってくるのか?」とか、あるいは逆に「どういうものが驚かれるだろう?」とか、そういうことを考えるようになったんですね。いままでは、小さい頃から培ってきた感覚だけで作ってたと言ってもいいくらいなんですけど、最近は資料として聴いた音楽からでも生かせると思ったものは自分の音楽でも試してみたりするし、“外”から新たに取り入れてるものも増えているので、そういう意味で今回のアルバムも音楽を作る視野というか守備範囲が広がってるといいなと思いますね。

──そういう感覚が生まれてきたときに、自分ならではの要素が薄まるような感じはありませんか。

森:いままで、時代の音や今っぽさみたいなことを敢えて無視してきたのは、自分ならではの部分が薄まってしまうという怖さがあったからなんですよね。でも、実際に“外”からの要素を取り入れてやってみても、そういう反応は出てこなかったんですよ。「こんなの、僕らしくないと思いませんか?」と僕から聞いたりもしたんですけど、そういう反応はなくて、だからだんだん怖さがなくなってきて、そういう要素を取り入れることは枝葉の部分のことなんだと割り切れるようになりました。というか、自分のメロディー感覚というのは変えようと思って変えられないし、自分の声で歌うとやっぱり自分の感覚になるなというふうに思ってきたんです。だから、曲を作るときに自分の印をちゃんと刻まないとみたいなことはむしろ考えなくなってきましたね。

──つまり、森さんの音楽の幹の部分というのは、メロディー感覚とそれを歌う森さんの声だと思い至ったということですね。

森:幹がそこにあることを表すのが曲を作ったりアレンジを考えたりすることなんだろうということでしょうか。そこをもっと掘り下げていくと、それは本当に言葉にできない話になっちゃうような気もしますが、言ってしまえば好き嫌いということなんですかね。好きなものと嫌いなものについては正直であり続けているということがいちばん大事かなと思っていて、好きなものを集めていけば、それが多分僕のシルエットになってくるのかなと思いますし、そこにはすでにいままでに取り入れてきたものも反映されてる気がするので、好きなもの/嫌いなものについて正直でいることを続けてさえいれば幹の部分が揺らぐことはないんじゃないのかなという気がします。

——5月のライブはどんなライブになりそうですか。

森:まだ漠然としたイメージの段階ではあるんですが、とにかくこのアルバムを隅々まで楽しめるライブになればいいなと思います。ただ、このアルバムはライブでやりにくい曲が多いんですよ。例えばボーカルが重なってるので一人で歌えないとか、それらをライブでどう再現するかということで頭を悩ませそうなんですが、でも「この曲はライブでやると、こうなるんですよ」という形を披露したいなと思いますね。それこそ音源を聴いて、助走をつけて来てくれたお客さんが“着地点はそこか”と納得してもらえるようなものを聴かせられるといいなと思っています。

ザ・コンボイショウ待望の新作『1960』が大反響にお応えして早くも再演決定!主宰・今村ねずみインタビュー!

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今村ねずみ メイン

撮影/笹井タカマサ

今年で30周年を迎えるザ・コンボイショウ。「あっという間でしたね」と、主宰で脚本・構成・演出・出演をつとめる今村ねずみは言う。

「結成時は、メンバーとこんなに長い付き合いになるとは思ってなかったし、ましてや、こういう形でまだやってるなんて想像もしなかった。それが今、お互いに歳をとって、白髪もちょっと生えて、それでいてコンボイショウをやっている。面白いなと思います。30年間、コンボイショウという看板を掲げてやってこれたことが、自分にとっては一番嬉しいこと。こういう集団があってもいいと思うし、こういう歳でこういうことをやっているカンパニーは、ちょっと他にはないんじゃないかと思います」

自分たちのスタイル・世界観を追求して、妥協なく全力で創り続け、“コンボイショウ”というエンターテイメント・ショーのいちスタイルを確立した彼ら。

「言葉で、ストーリーがあって、踊って歌って、全員が主役で脇役で……と説明すると、そんなの他でもやってるよと言われそうだけど、僕らが始めた頃は、そんなことをやっているカンパニーは周りになかった。メンバー各々が役者やダンサーとしても活動する中で、この年になってもコンボイショウがやれる仲間と場所と時間があること、自分たちが存在できるスタイルがあることは、幸せなこと。一回一回のステージを、よりいっそう大事にしていきたいですね」

今村ねずみ サブ

撮影/笹井タカマサ

いまやメンバー全員が50代。東京で昨秋上演した新作『1960』は、約4年ぶりの公演だったのだが、そのステージに懸ける熱量に、積み重ねてきた年月の厚味が加わり、まさに“大人のカッコよさ”満載の笑って泣ける舞台となった。世の中の出来事を見ていて、自己に向き合い、「自分は今どこにいる?どこに向かっている?みんなをどこに連れて行きたいんだ?」と問い続けた末に生み出された、1冊のノートを巡る物語だ。

「作品づくりを通して、自分の身近な人や物や何気ない日常や出会いの大切さ、待っていてくれる人がいる=未来に対するご褒美なんだということに、改めて気付きました。それだけに、久々にコンボイとしてお客さんの前に立って、たくさんの皆さんに支えられてここまでやってこられたことの幸せを、つくづく実感しましたね。結局、やりたいことはずっと変わらない。やっぱり自分にはこれしかないという手応えを感じました」

ザ・コンボイショウ 上演中

その『1960』を引っ提げて、4月からは約6年ぶりの全国ツアーを行う。

「メンバーには、歌と踊りをしっかり稽古して来い、歳をとったからって、外では絶対に弱音を吐くなよと言ってあります(笑)。日本各地でコンボイショウができることに、今からワクワクしていますよ。若い方にも、日本にはこんなオヤジ達もいるんだよっていうことを、ぜひ観に来てほしい。活きのいいオッサンの姿をお見せして、日本全国に“オッサン旋風”を巻き起こしたいですね。楽しんで元気をもらって帰っていただけたら嬉しいです」

インタビュー/岡﨑 香

CONVOY

人間椅子、満員御礼のツアーファイナル@3/19(土)赤坂BLITZの熱狂をレポート!

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人間椅子 3/19(土)赤坂BLITZ

テキスト:兼田達矢/撮影:ほりたよしか

一度は出かけてみたいと思いながら長く果たせないでいるツアーのひとつに、“冥界めぐり”がある。ダンテの「神曲」に始まって、長く文学作品のネタにも重用されていることを思えば、古今東西を問わず、人間の想像力を大いに刺激するツアーであることは間違いないが、先に19枚目のオリジナル・アルバム『怪談 そして死とエロス』をリリースした人間椅子の、すでに200曲を超えるという楽曲レパートリーをたどることはそれに通じる体験と言えるだろう。この日のセット・リストを眺めても「地獄の球宴」「遺言状放送」「三途の川」といったタイトルが並ぶ。彼らは重いビートと研ぎ澄ましたリフを絡めながら、誰も見たことがない存在について叫び、あるいは、誰も訪れたことのない場所へと誘う。

人間椅子 3/19(土)赤坂BLITZ

「何を、バカな」と、言う人がいるだろう。滑稽に思う人もいるかもしれない。が、結成から25年以上を過ぎ、現メンバーになってからでさえすでに10年を超える歳月を重ねてきた3人の演奏が、その“妄想”に不思議なリアリティーを与える。特筆すべきは彼らの演奏にはギミック要素がまったくないことで、言い換えれば人ではない存在についての歌や人であることを終えた存在についての歌をすべて、人力で表現しているということだ。そのひとつの覚悟のゆえに、“お化け”や“地獄”について繰り返し歌いながら、敢えて言えばいたって真面目な、あるいはずいぶんとひたむきなエネルギーがステージから発せられることになる。とりわけこの日は、彼らにとっては久しぶりに全15公演という数の多い本数のライブ・ツアーのファイナルということで、公演を重ねた先の熟成とファイナルならではの開放感が重なって、いっそう熱いステージになった。

人間椅子 3/19(土)赤坂BLITZ

ところで、ベースの鈴木研一は長年続けてきたアルバイトを辞め、専業バンドマンになって初めて臨んだツアーだけに期するところがあるだろうという予想とは裏腹に、最初のMCで「15本もやってきたのに、案の定、歌詞を間違えてしまいましたなあ」と言って、会場を和ませる。

人間椅子 3/19(土)赤坂BLITZ

その飄々とした口ぶりと同様のユーモア・センスは彼らの音楽に欠くことのできない個性のひとつで、だから彼らの音楽はあくまでおどろおどろしい世界を描きながら、聴き手を突き放すような恐怖をリスナーに、あるいはオーディエンスに感じさせたりはしない。白塗りの顔に僧侶のような和装と裸足という異形の風体でベースを抱えてフラフラと体を揺らすそのようすは、例えば水木しげるが描くお化けに似て、むしろ人懐こい印象さえ感じさせる。

人間椅子 3/19(土)赤坂BLITZ

あるいは、ステージが進むなかで演奏が加熱していき、明らかに彼自身もテンションが上がっているのに改まった調子のMCを続ける和嶋慎治の律儀さもなんだか微笑ましい。「アニキ!」とさかんに声援が飛ぶ、ナカジマノブのパフォーマンスはドラムもボーカルもMCも、とにかく体当たりだ。

人間椅子 3/19(土)赤坂BLITZ

そうした彼らのライブ・パフォーマンスに対する共感を素直に示す、オーディエンスの反応も熱かった。コマーシャルな展開やヒット曲の弾みとは無縁ななかで地道にライブ動員を増やしてきたバンドのライブだからこそのノー・ギミックな一体感は、客席の人たちにとっても格別な心地よさだったに違いない。おかげで反応も自ずとストレートになるのだろうが、そんなふうにステージへと差し向けられるエネルギーをメンバー3人は真正面から受け止めて、臆することも戸惑うこともなく、大いに楽しんでいた。MCでも語っていた通り、彼らはオズフェスに初めて出演した2013年に“第2のデビュー”を果たしたという意識でいるから、彼らの若々しいとも言えるステージングはデビュー3年目的な溌剌感の表現なのだろう。しかし、実際にはデビュー25年を超えて生き残ったタフネスも身についているわけだから、それは“地に足のついた溌剌感”とでも言うべきもので、その感覚がおそらくはサウンドの印象としての厚みを増すことにも関わっているだろう。

人間椅子 3/19(土)赤坂BLITZ

アンコールで「60歳になっても70歳になっても、命のある限りバンドを続ける所存であります」と宣言した彼らは、今年9月には全員が50歳となる。紛れもない熟年バンドだけれど、エッジの立ったリフと重心の低いアンサンブル、それにコンセプチュアルな歌詞世界で構成されるそのハードロック・サウンドは、60年代、70年代のオリジナルな王道ハードロックを聴いてきた世代の真摯な敬意で貫かれていて、だからこそ決して色褪せることがない。

もっぱらこの世ではないことを歌いながら、生身の熱情でひたすらにデカい音をかき鳴らすバンド、人間椅子の個性を満喫した夜だった。

一青窈、母となり、新しいボーカル・スタイルで臨む最初のツアー「人と歌~折々」

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一青窈

インタビュー:兼田達矢/Photo:横井明彦

──まず、今回のツアー『一青窈 TOUR 2016 人と歌〜折々』は昨年7月にリリースされたカバー・アルバム『ヒトトウタ』からの曲を中心に構成するツアーということでよろしいですか。

はい、そうなります。

──では、そのアルバム『ヒトトウタ』についてお聞きしたいんですが、カバー・アルバムの場合はやはり選曲がポイントになりますが、選曲についてはどんなことを意識しましたか。

『ヒトトウタ』の前に出した、歌謡曲のカバー・アルバム(『歌窈曲』)はわたしの歌いたいものをピックアップするという選曲だったんですが、この『ヒトトウタ』ではもうちょっとポップス性を高めるというか、自分だったら選ばないだろうなという曲も含めて、みんなが歌ってほしいと思っているものに挑戦したっていう感じです。

──リクエストに応えるという色合いが強くなるということは、よりシンガーとしての側面がクローズアップされるということでもあると思いますが。

例えば亡くなってる方の歌は、そういう意味で距離感があるから歌いやすいんですけど、今回のように実際に交友もあるような近い人の曲を歌うのは、ご本家を乗り越えていくというのはすごく難しい挑戦なんです(笑)。それでも “こんなに近い世代で、こんなにいい歌があったんだ”ということを再発見していく、ということはわたしにとっては意味が大きかったなと思います。

──いい曲を再発見するということとは別に、その曲の内容に再発見や再認識したというようなことはありましたか。

例えば「幸せな結末」はいわゆるナイアガラ・サウンドというか、声の壁みたいなものを作るのとは違うアプローチをしてますけど、それでも懐かしいと感じるのは、そういう音の厚みが母が聴いていたオールディーズ感と似ていて、こういうことなんだと思ったんですよね。 “時代を映してたんだな、あの頃の歌って”ということですよね。いままではどちらかと言うと歌い手としてのアプローチで、全部“一青窈節”でまとめてたんですけど、もうひとつ落ち着いて“THIS IS POPS”ということを納得しながら歌えたのは良かったというか、これをやらなかったらわからなかったことだと思います。

──オリジナル・バージョンに刻印された、そうした時代性やアーティストの志向と、自分の個性とのバランスはどういうふうに考えていましたか。

どうあがいても自分のクセというのは出てしまうんですけど、極力出さないように努めました。

──基本的には、抑えめの方向で考えていたわけですね。

そうなんです。それはもう、ライブでは出ちゃうだろうから。だから、今回ライブでこの曲たちを歌えるのは、自分のなかではストレス発散じゃないですけど(笑)、自分らしさがより出せるというのが楽しみですよね。もちろん、ディスクにはディスクの良さがあると思うんですけど。ライブはいつものメンバーでできるという良さもあるし、ライブではきっとディスクにはない歌い回し、“もうちょっとこうしたかったな”というのが出てくると思います 。

一青窈

──ディスクは曲に寄り添った歌い方だったけれども、ライブではより思いのこもった歌になるだろうということですね。

そうですね。ただ、自分の体力がどれくらい回復しているかというのは、ちょっとわかんないんですけど。産後初めて歌ったときに、“こんなに歌えないんだ”と実感したんで。腹筋が全然使えない!みたいな(笑)。

──つまり、歌うことがどれだけ肉体的な作業なのかということ再確認したということですか。

そうなんです。それは具体的にどういうことかというと、千倍近く膨れた子宮のおかげで、妊娠中はお腹の中が圧迫されてるから息が入らなくて歌えないし、産んだら産んだで、伸びきってるからコントロールが効かないんです。外から見ると普通なんですけど、中はやっぱり、10ヶ月かけて伸びたものはまだ戻ってないんですよね。そういう意味でも、“わたしって、歌手だったんだ”ということ感じてます。いまだに、練習しながらそういう感じがありますね。

──それは、どういう場面で感じるんですか。

いままで普通にできてた筋トレのメニューが全然できなくて、前の一青窈でしていた息継ぎすらもできないんですよ。ブレスの位置も、全然息が足りないから、いままで伸ばせてたところが、その前できれてしまうし、もはやコブシの回すポイントもちょっとずつ変化してて、すべての曲を新しく歌い直す感じですね。「ハナミズキ」すらも。どの曲を歌っても、“あれ、わたし、こんな歌い方してたんだ。へぇ”みたいな(笑)。そんな感じですよ。ただ、その以前の歌い方をなぞってもしょうがないから、いまはこう歌うという方向で練習してます。いままでは力まかせに、パワーボイスで押していく感じだったけど、これからはいかに負担をかけずに、クラシックの唱法でずっと長く歌うかという感じになってます。それは、自然な流れでそうなりましたよね。

──そういうふうに、自覚的に新しいボーカル・スタイルを作り上げていくという作業は、面白いことですか。あるいは、難しいことですか。

難しくて、面白いですね。端唄も習ってて、いまはちょっとお休みしてるんですけど、そこで「ずっと歌っていくためには、もっと力を入れないで歌うことが大事なんだ」ということを教わって、なるほどねえと思いました。上手い人がいとも簡単にホームランを打ったりマジックができたりするのと同じで、熟練している人ほど簡単に見えるっていうことなんだと思うんです。だから、そういう熟練者と同じように簡単に歌っているように見える、というところに行きたいなと思ってるんですよね。

──アルバムの選曲の話に戻りますが、単純に「あなたとわたし」の歌ではなくて、「あなたとわたし」のことを歌いながら、それ以外の誰かに向けて歌われている曲が多いことが興味深いと思ったんですが。

子供を育てて感じることのひとつは、愛を与え続けることが幸せなんだなということなんです。それをいま、日々実感しています。肉体的にも精神的にも、しんどいと言えばしんどいんですけど、それでも“なんだろう、この充足感は”と思うんですよね。だから、「どうやったら幸せになれるか?」ということについて、何かを受け取ることばかり考えている限り、幸せにはなれないんだろうなということは、朝焼けを眺めながらぼんやりと(笑)、思ったりしますね。

──昨年暮れにリリースされた配信シングル「満点星」もそういう心持ちが表現されていますよね。

一方的に、良かれと思うことをするっていう歌ですよね(笑)。

──時間軸で考えれば、実際に子育てが始まる前に「満点星」は書いていたわけですから、“親の愛とはそういうことなんだろうな”という想像から書いたということになりますよね。

そうですね。ただ、そういうことなんだろうなと想像できたのは、母がそうしてくれたからだと思うんです。

──それは、親からそうしてもらってるときにわかることではなくて、後ほど思い知ることになるわけですが、それを思い知ったいまの感覚としては切ない感じですか。あるいは、うれしい感覚が強いですか。

わたしのなかでは、答え合わせっぽい感じがしていて、最終的には「よくできました」という感じで、これが“はなまる”になるといいなといまは思っています。

──さて、ツアーのステージではディスクより歌がもっとエモーショナルになるだろうという話が先ほどありましたが、ツアーの内容については何かいまの時点で紹介していただけることはありますか。

大沢悠里さんの「ゆうゆうワイド」というラジオ番組を母がいつも台所仕事をしながら聴いてたんですね。自分自身も出させていただくことがあった番組がなくなるということを聞いて、そこに対する何かリスペクトを表現できないかなあと思ってるんです。ラジオ的な構成を入れ込むみたいな。自分が子どもを産んですごく感じてるんですけど、ラジオってすごく聴くなあって。テレビだと、子どもを看ながらテレビも見るということはどうしてもできないじゃないですか。耳だけだと、あやしながらでもニュースがキャッチアップできますからね。だから、母がやっていたことを自分がなぞっていってる感じなんですけど。大事なのは、いつでもそこに音楽があったということですよね。そういうことを、ライブの構成として盛り込めるといいなといま考えています。

──一青さんのライブは、演劇的というか、何かに仕立てた構成が入り込んでくることがしばしばありましたが、今回はラジオ仕立てになるパートがあるということですね。

それにプラスして、折り型という言葉をわたしが引っ張ってきたんですけど、結婚、出産を経験するなかで、のしとか水引とか、紙で形を作って気持ちを渡すということ、その作法にすごく美を感じたんです。お年玉なんかもそうだと思うんですけど。目に見えない気持ちを紙に包んでお渡しするというのがすごく素敵だなと思ったので、折り型とか水引も含めて、そういう紙の表現をステージに反映できないかなと思っています。

──それは、ステージ・セットがそういうものになるということですか。

そうですね。で、四季折々とか、人生の節目、折々に自分の感じたことをパッケージ化して渡したいなという気持ちで“折々”というタイトルをつけたんです 。

一青窈

──妊娠・出産を経験し、新しいボーカル・スタイルで臨む最初のツアーということになりますが、その一連の経験によって、一青さんのなかで、その新しいボーカル・スタイルの歌を届ける相手のイメージは変わっていったりするんでしょうか。

変わっていってファミリー層に向かうのかなと思ったりもしたんですけど、自分が書いてるものを見てると、よりただのラブレターに近くなってきてるんですよ。子どもへの思いとか家族への思いってすごくシンプルだから、結婚する前に書いてたラブレターとあまり変わらないというか、むしろいまのほうが核心をつける気がするというか。結婚して、“わたしはもう恋の歌は書けないんじゃないか?”と思ってたんだけど、“いや、むしろいまのほうが書ける”っていう感じです。それは最近ちょっと思った、面白い発見ですね。しかも、それは自分にとってすごくいい作用だと思ってて、こんなに恥ずかしいことを堂々と書けなかったし、真っ直ぐな気持ちはわき起こらないあまのじゃくな部分もあったんだけど、わたしってこんなにシンプルな気持ちをいっぱい抱いてたのねっていう。

──では、実際にお客さんを前にして歌うときの気持ちは変わりそうですか。

どうなんだろう?やってみないと、わからないかなあ。いままではシアトリカルというか、見せる方向だったのが、すごくストレートに“ただ届けよう”と思って歌いそうですね。そういう予感があります。「みんな、愛してる!」って、叫んじゃったりして(笑)。

メイジャー・デビュー15周年 氣志團が選ぶ「15大トピックス」!第2回

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気志團MV

インタビュー・構成/フジジュン
写真提供/オフィス男闘呼塾エンターテインメント

今年1月に最新アルバム『不良品』をリリースし、「メイジャー・デビュー15周年記念興行 ツッパリHigh School Musical『氣志團學園Ⅱ ~拳の中のロックンロール~』」を開催中の氣志團。メイジャー・デビュー15周年を記念して、デビュー年から現在に至る氣志團の15年の歴史を振り返るスペシャルインタビューを敢行! 15年を各メンバーに振り分けて、その年に印象的だった出来事や思い出を語ってもらう“15大トピックス”形式で行ったインタビューの第2回。他では語られることのない本音や真相は、熱心なファンならずとも必読です!

第2回 2007年〜2011年のトピックス

★2007年★
アルバム「SIX SENSES」(東芝EMI)発売。
「氣志團四天王presents 春のぽっかぽっかツアー2007」

5th ALBUM SIX SENSES

[画像右]5th ALBUM 「SIX SENSES」

「メンバーソロアルバム&ソロツアー開催」(白鳥松竹梅)

メンバーそれぞれがソロ曲を作ることになって、みんなは知り合いのミュージシャンに声をかけて曲を作り始めちょって。ワシもそうしようと思ったんじゃが、よぉ考えたらミュージシャンの友達がおらんことに気付いてのう(笑)。「もうええ、一人でやろう」と思うて、買ったばかりの機材で曲を作り始めたんじゃ。それで氣志團にとってのホワイトアルバムとも言うべき作品『SIX SENSES』には、自分なりに頑張って作った曲を収録したんじゃが、「この形態でツアーをやる」ちゅう話になって、そんなこと聞いてないから流石に驚いてのう。ワシ一人でステージに立つ勇気も無いんじゃが、それでもやるしかないと腹を括ってツアーに挑んだんじゃ。まぁ、自分の限界を感じさせられたツアーじゃったわ!(笑)打ち上げでもみんなはメンバーがおるから同じテーブルで楽しく呑んどるんじゃが、ワシだけ一人で寂しく呑んじょってのう。一緒にツアーを回ってたCeleb;PLAY(※編集部注:オフィス男闘呼塾エンターテインメント所属。孤高のヴォーカリスト憂喜が率いる5ピース・バンド。ラブソングしか歌わない)だけが「一緒に呑もうや」ちゅうて誘ってくれたんじゃ。あの時のCeleb;PLAYは優しかった(笑)。今、ソロをやれ言われたら、あの頃よりは助けてくれる人もおると思うんじゃが……。あとあの頃、DJ OZMAが始動して暇が出来て、ランマとユッキと「DJユニットをやろう」って話になって。ユッキの言うがままに100万円くらいの機材を買ったんじゃが、一度も活動することがなくってのう。ユッキには騙されたわ!(笑)今考えると何かやらなきゃいけないと思いながら何も行動が出来ない、ダメなクズ時代じゃったわ。

氣志團四天王presents 春のぽっかぽっかツアー2007

氣志團四天王presents 春のぽっかぽっかツアー2007

 

★2008年★
ベストアルバム「<KISHIDAN GRATEFUL EMI YEARS 2001~2008>『房総魂』 ~SONG FOR ROUTE127~」

[画像右]ベストアルバム「<KISHIDAN GRATEFUL EMI YEARS 2001~2008>『房総魂』 ~SONG FOR ROUTE127~」

「氣志團活動休止。氣志團は一回、解散しておけばよかった」(西園寺瞳)

個人的なニュースとしては『SIX SENCES』でやったTommy&The Bonjaskysでツアーを回って、ミニ・アルバム『We are The Bonjaskys!』を出したりしているんですが。氣志團としては、ベスト盤を出したくらいで、実質活動をしていないんですよね。ランマと一緒にベスト盤のマスタリングに行って、「このレコーディングはいい音録れてるね」とか話したのは覚えてるかなぁ……。この時期、自分たちでも活動を休止しているのかも分からない状態だったので、今になって「あの時一回、解散しておけば良かったね」って話すんです。そしたらツアー回ったりCD出したり、解散ビジネスが出来ましたからね(笑)。「それで5年くらい空けて、また再結成するのが一番良かったのかも知れない」って。そんな中、「来年から氣志團をやると翔やんが言ってる」と、本人ではなく人から聞きまして(笑)。「ホントにやるのかな?」と思いながら、翔やんから声がかかるのを待ってました。あと、よく「トミーはDJ OZMAが嫌いだった」と言ってますけど、それはネタです!一回ライブを見に行って、純粋に「凄いな」と思ったし、もちろん認めてたし。「こんな凄いエンタテイメントが出来る人と一緒にバンドやってたんだ」と思ったら、氣志團ももっと可能性を広げていけるなと思いました。活動を止めたことはデメリットの方が多かったかも知れないけど、一度立ち止まることで今まで気付けなかった部分に気付けたし、僕やランマは自分でバンドをやることでイニシアティブを取ることの大変さも学んだし。こういう機会があるバンドってなかなかないから、貴重な経験だったと思ってます。ただ実際に活動を再開してみたら、その代償は思ったより大きかったですけどね……。

 

★2009年★
氣志團現象2009 GIG AT THE BUDOKAN「鼓 動」を日本武道館にて2days開催。
約3年振りとなるシングル「おまえだったんだ/さよなら世界」発売。

気志團03-1

「氣志團活動再開、こんなはずじゃなかった」(綾小路翔)

4月の日本武道館2DAYSは物凄い動員があって、怒号のような歓声が上がって。僕らもしっかり仕上げてGIGに臨んで、初めてノーギミックのGIGを行って、硬派路線に方向性を変えた氣志團はすごい良い幕開けを迎えるんです。ただその後、ライブハウスを回る『ON THE STREET』ツアーが始まって、3年ぶりのシングル「おまえだったんだ/さよなら世界」をリリースして。ここから受難の時期の始まりでしたね……。いざ走り始めてみたら、世間の反応が思ってたのと違ったんです。ライブハウスツアーもクオリティの高いパフォーマンスが出来たし、良い感じでタイアップも決まって良い曲をリリース出来た自信もあったんですけど、思ったような反応がなくて。DJ OZMAのインパクトが強すぎたんですかね?「こんなはずじゃなかった」と思いました。で、そこからはDVD『木更津グラフィティ』とか『ロックンロール・グラフィティ』ツアーとか、「世の中なんて、俺たちのことをなんとも思ってないんだ」くらいの完全な自虐に走り始めるんですが(笑)。僕らの魅力を伝えるのは映像なんじゃないか?と思って作った『木更津グラフィティ』も全然売れなくて。「もう、何をやってもダメなんじゃないか?」と落ち込むようになってきたのが、2009~2010年でした。現在も視界が晴れたとは全然思ってませんが、この頃はとにかく先が見えなかった。どんどん絶望的になっていく時期のスタートでしたね。

氣志團現象2009 GIG AT THE BUDOKAN

12thシングル「さよなら世界・おまえだったんだ」

[画像右]12thシングル「さよなら世界/おまえだったんだ」

★2010年★
アルバム「木更津グラフィティ」(影別苦須 虎津苦須)発売。

「限定盤『木更津サリー』リリース」(早乙女光)

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[画像左]6thアルバム「木更津グラフィティ」 [画像右]127枚限定シングル「木更津サリー」

 

★2011年★
メイジャー・デビュー10周年を記念して、全30公演に及ぶTHE 対バン・対マンシリーズGIG「極東ロックンロール・ハイスクール」開催。

「ドキドキした対バンシリーズ、凄い人たちとたくさん対バンしました」(星グランマニエ)

気志團05-01

対バンシリーズをやるって決まった時は、色んなバンドと一緒にやれることが嬉しかったしドキドキしましたね。でも始まってみたら、毎回対バン相手のコピーをしなきゃいけないから、すごく大変で。あの頃ユッキが全然練習して来なくてみんな困って、「覚えて来なかったら罰金にする」って言って。罰金制になったら、覚えてくるようになったんです(笑)。一週間に2~3本GIGがあることもあって、Dragon Ashとやって2日後に恵比寿マスカッツとやったりしていたから、気持ちの切り替えも大変でした。色んなジャンルの人と対バンして、みんな凄いなぁと思いながらやってましたけど、大好きだったユニコーンとやれたのは特に嬉しかったですね。ユニコーンが再結成してすぐのタイミングで、まさか対バン出来ると思ってなかったから、夢のような気持ちでした。ももいろクローバーZもその頃初めて知って、一緒にやってライブを見て「こんな凄い人たちなんだ!」って驚いたし。毛皮のマリーズはカッコいいなぁと思って見てたら、その後、すぐに解散しちゃって。一緒にやれて良かったなぁと思ったし。最後、DJ OZMAと対バンするのもすごく楽しみでした。最後がDJ OZMAと対バンっていうのも、氣志團らしくて面白いなぁと思いました。

>極東ロックンロール・ハイスクール GIG ARCHIVES

[画像左]極東ROCK'N'ROLL HIGH SCHOOL [画像右]極東ROCK'N'ROLL HIGH SCHOOL 氣志團 vs DJ OZMA ~おれがあいつであいつがおれで~

[画像左]極東ROCK’N’ROLL HIGH SCHOOL [画像右]極東ROCK’N’ROLL HIGH SCHOOL 氣志團 vs DJ OZMA ~おれがあいつであいつがおれで~

Creepy Nutsの”悩む”相談室 第3回

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Creepy Nuts(R-指定&DJ松永)

Creepy Nuts(R-指定&DJ松永)のラジオ形式お悩み相談室。
読者から毎回寄せられたお悩みを、Creepy Nutsの二人が、人生の先輩としてではなく、地元のツレや後輩、もしくはそれ以下の目線から、主に無責任に、時に親身に、一緒に悩みながら解決します。
ただ、いかんせん我々Creepy Nutsは人生経験が乏しい上に、人間として欠落した部分が非常に多く、必ずしもお悩みを解決に導けるとは限りません。
あくまで“悩む”相談室です。

Creepy Nuts(R-指定&DJ松永)”悩む”相談室 第3回

▼こちらよりお楽しみ下さい▼

今週のお悩み
★お悩み1
4月から小学校の先生になります。小学校の先生がアングラのイベントに行くのは保護者から反感を受けそうです。(22才 男)
★お悩み2
今年の春から高3になります。JKと名乗れるのも後1年で終わりですが、今のうちにやっといた方がいい事ってありますか?(17才 女)
★お悩み3
4年半付き合っている彼と結婚の話が進みません。本当に好きな人なら早く結婚したいと思うものですよね?(29才 女)
★お悩み4
今まで彼氏が出来たことがありません。どうすれば彼氏ができますか?(20才 女)

あなたのお悩み募集!!

Creepy Nutsに悩みを解決して欲しい方!どしどしご投稿下さい!!
お悩みの募集はこちら

Twitterのハッシュタグ #悩む相談室 でもお悩みや感想を募集しています。

(次回は4月下旬です)

Creepy Nuts出演!DISK GARAGE presents 震撼コンパ
4月11日[月] @TSUTAYA O-WEST

震撼コンパ

2016年4月11日(月) TSUTAYA O-WEST
18:30 開場 / 19:00 開演
出演:Creepy Nuts(R-指定&DJ松永) / lyrical school / Y.I.M
男性は2ドリンク制、女性はドリンク代無しとなります。男性は自分で2杯呑むも良し、「良かったら、僕のチケット1枚使いますか?」と女性に声をかけるきっかけにするも良しです。

◎チケット発売中!

「DISK GARAGE presents 震撼コンパ」詳しくはこちら

CHiCO with HoneyWorks待望の新曲「恋色に咲け」は映画主題歌タイアップの胸キュンソング!ブロックごとに異なるキャラクターを表情豊かに歌い上げるCHiCOのインタビュー!

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ボカロ&アニソン限定のオーディション「ウタカツ!」で見事、第1回目のグランプリを獲得した女性シンガーのCHiCOと、ニコニコ動画上で活動する大人気クリエイター集団、HoneyWoks(通称:ハニワ)とのコラボユニット、CHiCO with HoneyWorks。’14年8月にアニメ「アオハライド」のOP主題歌「世界は恋に落ちている」でデビューし、昨年11月には待望の1stアルバムをリリースした彼女たちが、5ヶ月ぶりとなる通算4枚目のシングルを完成させた。

──新曲「恋色に咲け」はハニワが原案と音楽を担当する劇場アニメ「ずっと前から好きでした。~告白実行委員会~」のOP主題歌になってます。

ハニワの人気曲である『告白予行練習』『初恋の絵本』『ヤキモチの答え』を中心としたプロジェクト『告白実行委員会~恋愛シリーズ』は、すべてカップルごとの曲だったんです。でも、この曲はキャラクター勢揃いというか、映画ならではの総集編のような内容になっていて。1曲で物語が完成していくわけではないので、ハニワ好きの人は最初は疑問を持つかもしれないんですけど、よく聴くと、ブロックごとに違うキャラクターのエピソードになっているので、あ、ここはあのカップルの話かなっていう想像ができる曲になってますね。

──ブロックごとに登場人物が変わっていくという構成は、ボーカリストとしては大変ではないですか?

確かに難しいんですけど、妥協なくできたので達成感の方が大きいですね。レコーディングでは、1行ずつ違うキャラクターが切り替わるということを意識しながら、各ブロックごとにそれぞれのカップルのシーンを思い浮かべながら歌っていて。しかも、今回はテレビアニメの主題歌のようにテレビからではなく、映画の一番最初に流れる曲でもあるので、映画館の大きなスピーカーでも些細な表情のニュアンスまで感じとってもらえるように気をつけました。私、暗くて悲しい表現は得意なんですけど(笑)、満面の笑みがちょっと苦手で。何回も心が折れそうになって、ちょっとメンタルがやられましたけど(笑)、結局いい気持ちで録り終えることが出来たし、頑張ってよかったなって思ってます。

──歌詞に共感した部分はありますか?

恋愛シリーズのキャラクターたちはみんな、恋をすること、青春することに対してまっすぐで一生懸命なんですよね。私は高校生の頃、すぐに家に帰ってゲームをするようなタイプだったので(笑)、共感よりも羨ましいなという気持ちの方が強かったです。キャラクターたちになりきって憧れの青春を体験させてもらっている感じかなと思います。

──カップリングにはハニワの『東京サマーセッッション』でコラボした歌い手のsanaとの「これ青春アンダースタンド feat. sana」が収録されてます。

2回目のコラボなんですけど、どう歌おうかという話し合いの前に、ライブでお客さんと一緒にやったら絶対に楽しい曲だよねっていう話で盛り上がって。合いの手や振り付けができる曲になっているので、ライブでみんなと一緒にやれたらいいなと思ってます。

──3ヶ月連続のワンマンライブを終えたばかりですが、6/4には初のホールワンマンライブが決定してます。

ハニワはニコ動で活躍されていた方々なので、ライブを想定した曲が少い気がします。私たちのライブに来てくれるお客さんも、シャイな方が多いかな?でも、私としては、合いの手もどんどん入れてもらいたいし、ホールワンマンでは恥ずかしさを取っ払って、楽しんで一緒にライブを作れたらいいなと思ってます。

インタビュー/永堀アツオ


「教えて!愛用品」〜一青窈編〜

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一青窈

一青窈の愛用品は?

CHAR25
編集部:一青窈さん、愛用品を教えてください!

美篶堂の「みすずノート」

これの赤と青をネタ帳としてずっと使い続けてるんです。元々はプレゼントしてもらったんですよね。それまでにいろんなノートを使ってきたんですけど、これがいちばん使いやすかったから、それからはずっとこれです。谷川俊太郎さんとの、コラボ・シリーズもあります。側面の部分に色がついてるというのが、いいんですよ。これ以前は方眼紙を使ってたんです。阿久悠さんに憧れて。でも、段々と線が邪魔になってきて(笑)。その点、これはページに線がないし、ページを破ったりしてもバラバラにならない。しかも、装丁がしっかりしてるから、出かけ先で何か書きものするときの台にもなるし。大きさも、大きすぎず小さすぎずで、ちょうどいい。だから、出かけるときも必ず持ち歩いてますね。

CHAR25
一青窈さん、ありがとうございました!

やなぎなぎ待望のアルバムを4月20日(水)リリース!アルバム&ライブツアーで素敵な旅を楽しんで!

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やなぎなぎ

TEXT/永井和幸

──まずアルバムのコンセプトは?

ツアーや海外公演を経験したのと、私自身も旅行が好きなので旅をテーマにワクワクやその土地を離れる時の寂しさなどを詰め込もうと。タイトルは“私の足跡をたどって”という意味に“曲のトラック”をかけてます。

──プロローグである表題曲や「春擬き」は旅立ちを感じさせますが意外に旅に出ていない曲が多いような。

確かに(笑)。自分の中にある旅への願望や小さな冒険みたいな感じの曲が多いかもしれませんね。

──遊園地やサーカスがモチーフになってる曲があっておもしろいです。

『キャメルバックの街』の“キャメルバック”はジェットコースターのことで、直線の道しかないような田舎から上京してきたらスクランブル交差点ですらアトラクションに見えるのかな、とか。『夜天幕』は、サーカス団自体が旅しているので。ゴージャス感やエンタメ感がある曲です。

──「rooter’s song」はライブで参加したら楽しいギミックがいっぱい。

曲名は応援歌の意味で、最初はチアガールっぽい曲を作ろうと思ったけど、みんなで自分を励ます感じになったので、クラップやホイッスル、レスポンスも入れてみました。

──シングルが3曲入りますが特に「オラリオン」は異世界感があって。

6曲目の『モノクローム・サイレントシティ』までが日常で、その先から日常じゃない世界に行く構成にしようと。その始まりであり、キーになる曲になってくれるかなって。

──終盤の「未来ペンシル」は途中にボレロが入るなど凝った曲ですね。

作曲の方が旅で見た風景を音に入れてくださって。ちなみに『どこにも行かない』も鳥の鳴き声が聴こえますが、外の音も入れたくて公園でギターと生録したんですが寒くて(笑)。いろいろ旅しても自分がいる場所が一番という曲を最後にしました。

──「rooter’s song」や「ワンルームトラベル」など盛り上がる曲も多いし、ストーリー的な流れもあって、この曲順でライブができそうです。

去年、ライブをたくさんやっているので、今回は制作当初からライブへの意識が特に強かったですね。

──恒例の初回限定盤特典CDは初のアナザーverでのセルフカバー!

ライブverの音源が欲しいという要望が多くて。アコースティックやエレクトロニカのアレンジにしていただき、歌も新録しました。このシングルの5曲は変わったら楽しいだろうなと想像しやすかったので。

──更に昨年10月のライブ映像も。

東京グローブ座でのアコースティック編成の実験的なライブでしたが反響が大きくて。ドキュメント映像も初収録するのでライブがどうできるのか見てほしいです。あとジャケットはトランクケースになってて開けるとパスポート型のブックレットにステッカーも入ってます。この1枚で素敵な旅を楽しんでください。

──リリース後は9カ所のツアーも。

ツアー名は『Follow Your Tracks』で私が皆さんの後をついてまわりたいなと。ライブ中に一緒に旅ができる映像や演出も考えてます。最終日は誕生日直後ですのでパーティ気分も加えて盛り上がりましょう!

■「ターミナル」PV(3rdアルバム『Follow My Tracks』収録)

安藤裕子 ご縁で繋がるアーティストとのアルバム「頂き物」をリリース!豪華客演を迎え、リリース記念の東阪バンドツアーを開催!

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安藤裕子

TEXT/永堀アツオ

──安藤さんと交流のある9組10人からの提供曲で構成されたニューアルバム『頂き物』のリリースを記念したバンドツアーが決定しました。

実は昨日、夜なべして、ライブのチケットとTシャツの柄を描いていたんですよ。アルバムタイトルは『頂き物』ですけど、山の頂きにいる10人が集まってる絵にして。改めて、ずいぶん素晴らしいところまで登り上げたなって感じたし、音楽の頂きにいる人間たちと一緒に時間を過ごす自分は、とても上等な人生を歩んでるなっていう感覚になりましたね。

──東京と大阪でたった2日間限りの貴重なライブに豪華ゲストが参加することも発表されましたね。

そうなんですよ。ゲストがいるライブなので、頂いた曲はもちろん、その方とちょっと遊べたらいいなと思っています。普段の自分のライブとは多分違うから、自分の曲はちょっとディープでもいい気がしてる。ゲストがいるときに朗らかに楽しめたらいいですね。

──各ゲストについてお伺いしてもいいですか?まず、大阪公演にピアノバラード「Touch me when the world ends」を提供した大塚愛さんが参加します。

大塚さんとの関係性はミュージシャン同士というよりママ友感が強いんですよね。子どもと一緒に会っていて。大塚さん、人間も存在も明るいんですけど、なぜかすごくネガティブなんですよね。そういう彼女の憂いと私が共通して持ってるものーー同じ年頃の子供がいて、毎日、未来を不安に思ってることを合わせて表現できたらいいなって思ってました。この曲と、TKくんが作ってくれた『Last Eye』の2曲に関しては、私が表現してきた安藤裕子の系譜に近くて。自分らしく歌えるなと思ってますね。

──東京公演にはとても縁の深いCharaさんが来ます。安藤さんが唄い手の道に進むきっかけになった方ですよね。

そうですね。当時は何の気無しだったんですけど、オーディションでCharaさんの『Break These Chain』を歌って。そこで声を褒めらたことで音楽を始めたし、デビュー当時に入っていたのも、Charaさんがいた事務所だったんですね。私にとっては、中高一貫の学校の体育会系の部活で、私が中1で入部した時に現れる高3の先輩っていうくらいの距離感です。

──あはははは。それは緊張しますね。

そのくらい緊張する先輩なんですけど、今回のアルバムでCharaさんが楽曲提供してくださった『やさしいだけじゃ聴こえない』からは、なんというか、思いやりを感じるんですよね。小さい頃に悲しかった何かを思い出すし、最後の<♪虹を誓った>という歌詞を読んだときに号泣しそうになって。すごくやさしい曲だし、個人的に労わられたような感じがして。まだちゃんと歌いこなせる実力が備わってないけど、すごく好きな曲になりましたね。

──ステージで2人がならんで声を重ねる瞬間を見るのが楽しみです。そして、両日参加の峯田和伸とおみそはん。

峯田くんは数少ない友達枠なので、真っ先にお願いしたんですけど、曲が上がってきたのは一番最後で。締め切りをかなり超過したことが心苦しかったのか、『なんでもやります!』って言ってくれたので、MVでは金田一耕助になってもらい、ライブにも来ていただけることになりました(笑)。おみそちゃんはラジオ枠。『ジャスタジスイ』を聴いた時に、この子とブギーバックみたいなことをやったら面白いなと思って。私までラップをやることになったのは衝撃だったけど、楽しかった。ただ、ライブをどうするのかーー。誰か、おみそちゃんのラップを一緒にやってくれる殊勝な方はいないかな?

 

■安藤裕子監督/峯田和伸主演「骨」MV(Short ver)

デビュー20周年記念ベストアルバムを本日リリース!デビュー日の翌日5/14(土)に、アニバーサリーライブを開催!

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PUFFY

インタビュー/永堀アツオ

──今年5月にデビュー20周年を迎える心境を聞かせてください。

大貫亜美(以下亜美) 人が成人する年月と考えると長いな~と思いますけど、あっという間な気もしないでもないですね。

吉村由美(以下由美) 20周年に向けてどうとか、『ずっと一緒にやっていこうね』って話し合ったこともないし、今後もするつもりもないですけど(笑)、お互いにそれなりの頑張りがないと続かないことだとも思うんですよ。そう考えると、二人がやっていこうとする努力もあったと思うし、お互いに頑張ったなって思いますね。

亜美 まぁー、怒涛で激動だったよね。激しい波に飲まれてきた。

由美 二人がPUFFYというものを面白がって、みんなで楽しいものを作っていこうぜっていう気持ちがあったのは大前提だけど、ただ楽しいだけの20年でもなくて。『10こあるうちの1こでも楽しければ、残りの9こはなんとかなるや』みたいな感じで1年が過ぎていって。その積み重ねで20年経った感じですね。

──20年目のベスト盤に関してはどう考えてました?今作は2枚組でシングル曲をリリース順に並べてます。

亜美 最近は親子3代で聴かれるという方も増えまして(苦笑)。時系列を追って組むことで、私たちのデビュー当時のことを知らない方に一番優しいアルバムになるんじゃないかなって。

由美 自分たちにとっても順番に並べたことで、より感動が深まったなというのがあって。最終的には、恥ずかしい曲が1曲もないし、懐かしいとは思っても古いなと感じる曲も1曲もない。いい曲ばかりだな、PUFFYって再確認しました。

──全34曲が収録されていますが、どの辺でグッときました?

由美 民生さんのプロデュースを離れた『あたらしい日々』あたりですね。アメリカに行ったり、いろんなことで揉まれた時のことを思い出して。PUFFYに対しての責任感が増してた時期だったし、毎日、必死でもがいてたなって思いました。

亜美 私は、由美ちゃんが言ってる1枚目を過ぎて、2枚目の『マイストーリー』あたりで、いいことやってんなって思ったんですよ。マスタリングでディスク1を一通り聴いた後の感動を持ちながら、だんだんと進んでいって。『素晴らしいな、PUFFYは!』って初めて思ったかも。

由美 最後の方は頑張って攻めすぎて、とっちらかってる感じもたまらないね。

亜美 うん、気がつけば、後半めちゃワチャワチャしてんなって(笑)。

──ヒャダイン、OKAMOTO’S 、フラカンときて、最後に新曲として、 久保みねヒャダのこじらせナイト。とのコラボ曲 抱きたきゃ抱けばEじゃNIGHT☆。が収録されてます。

亜美 久保みねヒャダさんから『エロいPUFFYを見てみたい』と言われて(笑)。変な曲だけど、すごくキャッチーで頭から離れないんだよね。

由美 めっちゃ歌いやすかった。でも、親にはあんまり聴かせたくない(笑)。

──(笑)タイトルにはどんな思いを込めましたか?

亜美 似たようなタイトルのアルバム(『非実力派宣言』)がありますが、ご本人の森高千里さんから『いいですよ』って言って頂いたので、今こそと思って。

由美 ずっと温めてたタイトルがやっと陽の目を浴びたんだよね。

亜美 そう。『だらだらしてる』と言われ続けた20年。今こそ、反旗を翻す時期じゃないかな、と。聴いていただけるとわかるように、『私たち、力を抜いたことなど、一切ございません!』という意思表明になっております。

──あはははは。全力で楽しむ姿勢はCDでもライブでも伝わると思います!アニバーサリーツアーも決定してますね。

由美 何を歌えば20周年っていう気分になるのかは悩みどころですが、『PUFFYって20年経ってもめっちゃ面白いね。久々にスカッとしたわ』って言いながらお家に帰ってもらえるライブをしようって思ってます。

亜美 せっかくベスト盤も出すので、みんなで一緒に歌えるような曲をやれたらいいかなと思いますね。また、スケジュールを調整したり、一緒に行く人を探したりとか。いろんな事情を乗り越えてきてくださる方たちがかけた手間に見合うような内容にして返したいですね。

「初めて行ったライブは?」~CHiCO(CHiCO with HoneyWorks)編~

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CHiCOが初めて行ったライブは?

イケコ
編集部:CHiCOさん、初めて行ったライブを教えてください!

「キラフェス2013」

幕張で開催された声優さんのイベント『キラフェス2013』ですね。
江口拓也さん、木村良平さん、代永翼さんのユニット、Trignalが好きで。チケットを取ってくれた友達と一緒に行ったんですけど、すごく楽しくて、キャーキャー言ってた覚えしかないです(笑)。だって、バラとか投げてくるんですよ。黄色い声援もすごかったし、本当に興奮しましたね。
私にとってはそれが初ライブなので、合いの手があったり、振り付けがあるのが普通だって思っちゃってるところがあるのかもしれません。

イケコ
CHiCOさん、ありがとうございました!

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